マルチ化への進展における第一ステップとは
AMFは、2000年にタイのチェンマイで開催されたASEAN+3財務大臣会議で合意したチェンマイ・イニシアチブ(CMI)から始まった。CMIでは、ASEAN+3の財務大臣によって、これらの諸国のうちのどこかの国が通貨危機、特に国際収支危機に陥った場合に、その通貨危機を管理するために、相互に資金を融通しあう通貨スワップ協定が締結された。AMFの議論の際に中国が中立的なスタンスを示したのに対して、CMIにおいては中国が積極的に東アジアの通貨協調の話し合いに関与したことが、特徴的である。
通貨スワップ協定の総額も徐々に増額されてきて、10年のCMIのマルチ化(CMIM)契約の発効に伴い、各国の貢献額の総額が1200億ドルとなった。さらに、今年5月にマニラで開催されたASEAN+3財務大臣・中央銀行総裁会議において、2400億ドルに倍増することが決まった。また、CMIMは、多国間の通貨スワップに関する契約で、従来のCMIの二国間の通貨スワップ協定のネットワークが1本の契約にまとめられた。そして、CMIMにより、通貨スワップ発動に関わる意思決定のルールが共通化され、迅速で円滑な発動が期待される。このCMIMによって、事前に調整国を決めておいて、一つの要請と集団的意思決定メカニズムによって通貨スワップ協定が発動される。集団的意思決定メカニズムの導入はマルチ化への進展のプロセスとして重要な第一ステップではある。
ウォン暴落でもCMIの協定を利用しなかった理由
アメリカ発の世界金融危機がこれらの問題点を露呈させることとなった。世界金融危機の影響を受けて、ウォンが暴落した際に、それを止めるために韓国政府はCMIの通貨スワップ協定を利用しなかった。
その代わりに、韓国政府はアメリカの連邦準備制度と新たに通貨スワップ協定を締結して、即時実行した。このことは、今回の世界金融危機において、CMIの通貨スワップ協定を実行するには、何らかの問題があったことを意味する。
CMIの通貨スワップ協定が利用されなかった最大の理由は、CMIの通貨スワップ協定においては「IMFリンク」なる条件が課されているからだ。これは、通貨危機に直面して、CMIの通貨スワップ協定を実行したい政府は、IMFから金融支援を申請して、金融支援を受けるためのIMFから提示されるコンディショナリティを受け入れて初めて、CMIの通貨スワップ協定が発動されるというものである。総額の8割の発動について、この「IMFリンク」が制約となることがCMIで決められている。
「IMFリンク」なる条件が課されている理由は、通貨スワップ協定を発動するためには、事前に日常的にサーベイランスを行って、通貨危機を予防するとともに、通貨危機の発生時に即座に通貨スワップ協定を発動できるようにスタンバイをしておく必要があるからだ。そこでASEAN+3マクロ経済リサーチ・オフィス(AMRO)のような常設のサーベイランス機関を設立することが必要となる。しかし、世界金融危機当時においては、CMIの下にそのような常設のサーベイランス機関が設立されていなかった。そのために、IMFのサーベイランスおよび金融支援の意思決定に頼らざるをえなかった。
一方、韓国においては、97年のアジア通貨危機時における韓国の通貨危機と金融危機が、IMFによる金融支援のための厳しいコンディショナリティのために、一層深刻化したという認識が一般的であるために、韓国政府は、通貨危機に対する金融支援を受けるためにIMFに駆け込むことについて慎重であると言われている。その慎重さゆえに、韓国政府は、IMFに金融支援を求めることができなかった。そして、そのために、「IMFリンク」の制約のあるCMIの下の通貨スワップ協定の実行を求めなかった。
CMIの下の通貨スワップ協定を実効的な地域通貨協力とするためには、IMFリンクを撤廃するなり、もし撤廃することができなければIMFリンクの制約のかかる金額の総額に対する比率を80%から引き下げる必要がある。
今年の5月にマニラで開催されたASEAN+3財務大臣・中央銀行総裁会議において、現行のIMFデリンク(IMFに依存しない)の比率を20%から12年に30%へ引き上げることが決まった。さらに、一定の条件のレビューを前提として、14年に40%へ引き上げることにもなった。