一方で、条件がそろったところで何が起きるかというと、求める「おいしさ」の強さが、強くなればなるほど、味のブレも生じやすくなります。おいしさという結果を出すための必要条件の数もまた、増えるためです。

おいしさを追求し、売りとする個人店の場合は、少数精鋭のスタッフで店を運営します。手の込んだ料理も少なくありません。必然的に、取り扱う品数もそれほど多くはなりません。料理を仕上げるために必要であれば、気候や気温の変化にも、その都度対応することができます。そのため、圧倒的なおいしさを実現できます。

ところが、そのおいしさは一度提供すれば終わりではなく、常に高クオリティを出し続けるのでなければ、お客さまを裏切ることになります。

いつも最高の手打ち蕎麦を出す店が、たまたまちょっと違う味を出してしまい、それを食べたお客さまが「この店、味落ちたな」と感じて二度とこなくなる、というのはよく聞く話です。しかし、常にすべての条件が同じようにそろうことはありえませんから、おいしいものを出す店ほど、味のブレも生じやすくなります。

必要なのは「おいしすぎる料理」ではなく、「おいしすぎない料理」

その逆もあります。「名物料理にうまいものなし」というのが、それです。

具体名を出すと叱られそうなので出しませんが、名物というのは、いつ訪れても同じ味だからこそ、名物なのです。日によって違う味だと、名物にはなりえません。特別においしいわけではない料理、味のほうが必要な条件が少ないので、ブレがなく、安定して同じ味を提供し続けることができます。

その意味では、最高の味を提供する店よりも、案外そこそこの味の名物がある店のほうが流行り廃りなく営業を続けられるのです。

サイゼリヤには、海外の店舗も含めると年間2億3000万人ものお客さまが訪れます。看板メニューのひとつであるミラノ風ドリアは、店舗あたり平均1日100食、全店では日に10万食が売れるお化け商品です。大量生産が求められますし、何より厨房で調理を担うのは、パートやアルバイトのスタッフです。

味のブレが許されるのは、究極においしいものを出す名店だからこそ。我々の場合は、誰がいつ調理しても同じ味である必要がありますから、「究極のおいしさ」よりも、誰がいつつくっても同じ味になる「安定したおいしさ」を優先しなくてはなりません。

それだけではありません。もうひとつ、レストランチェーンの料理の味が安定していなくてはならないことには、理由があります。何だかわかりますか。

答えは「おいしすぎる料理」だと、人は毎日食べたいとは思わないということです。サイゼリヤには毎日同じ商品を食べに来てくださるお客さまもいれば、昼と夜で別の使い方をしてくださるお客さまもいます。毎日食べても飽きないという意味でも、必要なのは「おいしすぎない料理」といえるのです。

(構成=冨田ユウリ 図版作成=大橋昭一)
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