地元は外からでも盛り上げられる
「四倉もやっぱり、ヤンキーが多いみたいなイメージがあって。じっさいは、ぜんぜんそんなんじゃないんですけど、昔のイメージがすごいんでしょう。昔は本当に『クローズ』みたいな……『クローズ』ってわかります? ああいう世界だったらしいので。なんか40人対40人でブワーみたいなかんじだったらしいんで」
お父さん世代はそうだったみたい、と小名浜の白岩さんも補足する。高校生たちにとってのヤンキー映画は小栗旬主演、三池崇史監督の「クローズZERO」(2007年公開)になるのだろうが、彼ら彼女らの父親の世代からすれば、それは仲村トオル主演、那須博之監督の「ビーバップ・ハイスクール」シリーズ(1985[昭和60]~1988[昭和63]年公開)だ。この映画の脚本を書いた那須真知子(那須博之の妻)は磐城桜が丘高等学校出身。同作品シリーズの中には、いわきの潰れた遊園地(照島ランド)で撮影された場面がある。
お父さん世代の話が出たところで、阪田さんとお父さんの話を書いておきたい。阪田さんは、母方の祖母、父、母、中3の妹、中2の弟、小3の妹と一緒に暮らしている。自宅に震災の被害はなかったが、関電工に勤め、今は平で働いているお父さんの震災時の職場は、福島第一原子力発電所だった。
「おとうは1Fで爆発があったときも建屋の中にいて。通信が混乱してて、俺らに連絡もこなくて、無事かどうかもぜんぜんわからなくて。爆発したときは、死んだんじゃねぇのかみたいな感じになって。妹たちも泣いて、おかんもパニックになって『隣町に逃げる』とか言い出して。隣町にですよ。俺、よくわかんねぇよ(笑)。俺、4人兄弟の長男なんで、俺がどうにかしないといけないんだろうなと思ったときに、ちょっと家族の重みみたいなのを感じました。そのあと事務の人が電話してきて、とりあえず無事ですって言われて。帰ってきたのは3日後ぐらいなんですけど、みんなが『原発大丈夫なの』って訊くと、おとうが『大丈夫だよ』って笑いながら言うんですよ。そのとき、みんなの不安も、俺の不安もバーッと、ぜんぶなくなっちゃって。 おとうが笑いながら支えてるっていうんですか。そのときに、『ああ、すげぇんだな、この人は』みたいなことは思いました。素直に誇れるようになりました」
「土地の誇り」の最小単位は、その土地で暮らす自らの家族から始まる。阪田さんには後日、お祖父さんから教えられたことばのことも教えてもらった。
「独楽には真ん中に心棒ってのが通ってて、その心棒が重くしかっりしているほどその独楽は強いんです。爺ちゃんは独楽も人も同じで、しっかりした心棒でないとすぐ負けてしまう。お前もしっかりした、けっしてぶれない心棒を持てって言ってました。俺にとって生涯ぶれないだろう心棒は、生まれ育つ四倉と四倉の仲間、家族への愛だって思ってます」
阪田さんの地元愛は、「TOMODACHI~」の3週間を経たことで強度を増したようだ。
「俺は四倉町の人間で、すごい地元が大好きで、地元で働いて、地元で死のうかなと思ってたんですけど、『TOMODACHI~』で、俺らのグループのメンターの人から、『地元って、外からでも盛り上げられるよ』って言われて。船乗って、ゴールデンゲートブリッジをくぐってるときだったんですけど、『そうっすね』って言って。あの出合いは、ほんとうに人生変わったんじゃないかなって気がする」
次回は岩手県の県庁所在地・盛岡市に5人の高校生を訪ねる。
(明日に続く)