孤独とは「暑い」「寒い」のような感覚

私自身は現在、マンションの8階に住んで、日常のほとんどを一人で過ごしています。

私の住まいの向かい側には、娘家族が住んでいて、大学生の孫も二人います。でも、行くとうるさがられるので、ほとんどコミュニケーションを取ることもありません。すぐ近くにいるのに、ひと月に一度も会わないことなどしょっちゅうあります。

でも、それが当然になっているから、私のほうもなんら淋しい気持ちは持ちません。

周囲の同年輩の人に聞けば、むしろそれが今どきの普通であると口を揃えます。

そうした状況を孤独に感じる人は、メディアが作りあげてきた、「おじいちゃん、おばあちゃんと孫が、仲よくしているという理想」に感化されすぎているのではないでしょうか。

孤独感は、結局、「暑い」とか「寒い」という感覚と同じなのです。40度のお風呂の湯を「熱い」と感じる人もいれば、「ぬるい」と感じる人もいるように。

育った環境や周りの人との関係、そして普段どんな情報に接しているか、などによって感じ方は大きく変わってくるわけです。

だから普段の考え方や生活習慣を変えることによって、いくらでも「孤独感」はコントロールすることが可能なのです。

生物は「一緒にいて安心できる存在」を選ぶ

生物学的に見れば、孤独感を持つ理由は、孤立することによる危険を避けるためです。

かつて、アメリカの心理学者ハーロウは、子ザルに「代理母」を与え、子ザルがどのような行動を取るか実験しました(現在、このような実験は倫理上の観点から規制されています)。

その実験は、子ザルを母親から離して母乳が飲めない状態にしたあと、ミルクの入った哺乳瓶を備えたワイヤー製の「代理母」と、布でできたミルクの出ない「代理母」を子ザルのもとに置く、というものです。

すると子ザルは、抱きつくと痛いワイヤー製の母に抱きついて、哺乳瓶からミルクを飲みますが、ミルクを飲むとき以外はワイヤー製の母には近づこうとせず、ずっと布のお母さんにしがみついているのです。

この実験からハーロウは、「スキンシップの重要性」を説きました。生物は孤独を嫌がるけれど、やはり「苦痛を与える存在」と一緒にいるよりは「一緒にいて安心できる存在」を選ぶ、ということです。

人間も基本的には群れで生活し、進化してきた社会的動物です。孤立した個体よりは、仲間と一緒にいる個体のほうが安全で、当然、生存率は高かったでしょうし、そもそも集団から離れていれば、子孫を増やすことができなかったでしょう。

つまり、孤独感を抱かない個体よりも、すぐに孤独が辛くなる個体のほうが、生物学的には生存上も繁殖上も有利だったのです。

だから「独りが好き」な性格の個体は進化の過程で次第に淘汰されていき、淋しがりで群れたがり、また、魅力的な異性を見つけるたびに手当たり次第アタックするような個体が増えていったと思われます。

そして、今生きている人類の多くは、多かれ少なかれ、そうした淋しがりな祖先の遺伝子を受け継いできていると推測されます。だから私たちは、孤独を感じやすい傾向があるのです。

しかしその傾向は、必ずしも現代社会に合ったものではありません。現代は、そこらに野獣もいないし、盗賊や蛮族がウロウロしているわけでもありません。

先立つもの、つまり少々のお金さえあれば、素早く動けない老人も、か弱い女性も、自由気ままに一人で暮らしていけるでしょう。

動物でも、群を作らずに単独で行動する種族は、繁殖期を除けばずっと孤独な状態で生活をしています。

写真=iStock.com/recep-bg
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「おしどり夫婦」なんていう言葉がありますが、そのオシドリさえも繁殖期が終わればカップルを解消し、次の繁殖期に新しいパートナーを見つけるまで、独身生活を楽しんでいます。

時代も環境も変わったのですから、人間も、むしろ孤独な環境を楽しめるように変化し、進化していくほうがいいと思うのです。