「一流大学」の優越感と「Fラン大学」の劣等感

呪縛その⑤ 階級社会で濫用される「評価」

日本の学校教育では、非常に偏った評価基準で序列がつけられています。ランキングをつけるために教育制度が濫用されているとさえ言えるかもしれません。

学校間では、進学校と底辺校、一流とFラン、学校内でも特進コースと普通コースなど、恣意的な尺度に基づく序列がつけられることが珍しくありません。個々の教育機関や個人の「特徴」は捨象されて、ただ一つの物差しで順位がつけられ、ときには「問題児」「発達障害」といったレッテルが貼られます。

大阪市立大学小学校校長の木村泰子先生は、著書『ふつうの子なんて、どこにもいない』(家の光協会)の中で、インクルージョンの重要性を強調していますが、総合力ではなく、人間の持っている多面的な能力の中で偏った部分の評価基準で比較が行われているのが現状なのです。その結果、間違った優越感や本来持つ必要のない劣等感を味わうことになるのです。

偏差値という指標は日本でしか通用しない

従来型の学校で珍重されてきた評価基準は、だいたい1時間から2時間の間に、記憶した知識を思い出して、与えられた設問に解答する。その答えは、数字と文字ベースの情報がほとんどだったのではないでしょうか?

本間正人『100年学習時代 はじめての「学習学」的生き方入門』(BOW BOOKS)

より長い時間をかけてじっくりと取り組んだ成果や当意即妙のコメント力、今までにないものを生み出すクリエイティブな能力などは、多くの学校で適切に評価されてこなかったと感じます。

そして、限られた指標で比較される場面が非常に多い。偏差値というのは理論上、半数の人が偏差値50以下になります。これはそれだけで学習意欲を下げてしまう困った仕組みです。また、偏差値は日本でしか通用しません。偏差値が75であろうと世界では全く意味がありません。しかも、私立大学の一般入試が数回行われている今、予備校の発表する偏差値がどこまで信頼性のある数値なのかは疑問です。

もともと限定的な意味しか持たなかったものが、グローバルな社会の中で、ますますその意味を失っている、にもかかわらず、それが学習意欲を下げる最大の原因になっているとしたら、なんとももったいないことです。

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