あきらめず取り組み続けていた熱意と、ある程度大きな規模の案件をまとめた実績を見てくれていた。だから、みんな『あいつに懸けてみようか』と思ってくれたのではないでしょうか」

シェールガス開発チームが動き始めたのは09年8月。そのわずか4カ月後には1件目の開発プロジェクトの参画発表に漕ぎつけている。07年当時、いくら時間をかけても動かなかったプロジェクトが短期間で実現したのは、ビジネス環境の変化や戦略上の工夫もさることながら、個人戦から団体戦へと戦い方を変えたことも功を奏したのだろう。

1件目の成功により社内上層部もシェールガス開発を本部の中核戦略の1つと位置づけ、現地には事業会社が設立される。3人だった専従メンバーも、日米含めて12人に一気に増員となった。

記念すべき参画第1号となったバーネットシェールガス開発の現場では、採掘のための機材が日夜動いている。

今回、設立される事業会社には、かつて清算した事業会社で部下として働いてくれた、有能な米国人コンサルタントも正式メンバーとして加わる予定だ。07年当時、ともにシェールガスに注目し開発に懸けていたものの、上砂氏が米国を離れる際、泣く泣く契約を打ち切らざるをえなかった人物。悪戦苦闘の日々、知恵袋として活躍、夢を語り合った戦友だ。3年越しの夢、シェールガスの開発にともに携わることになり「諦めずにやってきてよかった」と抱き合わんばかりにして喜び合ったという。

10年9月には冒頭で紹介したマーセラス開発の権益も獲得。飛ぶ鳥を落とす勢いだがリーダーとして悩みもある。

「日本でも注目されるようになったとはいえ、いまだシェールガスは未知のもの。新しいメンバーを、知識を仕込んだそばから現地に送り出しているため、事業の拡大スピードについていくのが大変です」

同社はさらなる投資も検討中。上砂氏の嬉しい悲鳴は、当分続きそうだ。

※すべて雑誌掲載当時

(小原孝博=撮影)
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