もっとも予後の悪いがん

このような普通の人々にとっては想像もつかない手術が生み出されたのは、桂に見つかった脳腫瘍のグレード4「膠芽腫こうがしゅ」というもっとも予後の悪いがんのためだ。

カメラから発せられる赤外線を三つのボールでとらえる手術用ナビゲーションシステムで、脳の立体的な位置はスクリーン上でも捕捉できるようになっている。脳波計に乱れがあるときには、てんかんの前兆である場合が多いので、すぐにその箇所に水をかける。このようにして、むきだしになった脳がてんかんによる痙攣によって危険な状態になるのを防ぐ。

もともと、覚醒下で脳の一部分を切除するという手術は千葉大では1998年にてんかんの手術から始まっていた。桂のケースまでに8例を主治医である岩立康男は執刀していたが、どんな患者にでもできるという手術ではない。

脳がむきだしのまま覚醒するのだ。パニックになる患者もいる。そうすると、脳はいちばんデリケートな部位だから、命にかかわる。

なので、この手術を行う患者は慎重に選ぶ必要がある。桂は、新聞記者であったので、そもそも診断の時も、「包み隠さず言ってほしい」と岩立に切り込み、「正直言って厳しい。このままでは一年ももたない」という診断も冷静に聞いていた。

そして何よりも、手術後も新聞記者を続けたいという希望を強く持っていた。

桂の腫瘍は左側の前頭葉の部分にある。ここは、言語野と重なってくる部分だ。腫瘍はとればとるほど、余命は伸びる。しかし、言葉をつかさどる部分をとることはできない。

だからこそ、そのぎりぎりのラインまで腫瘍をとるために、覚醒下手術を、桂は選択をしたのだった。

朝日新聞の桂禎次郎記者。享年41。(写真=『がん征服』より)

「どんなに上手に手術をしてもなおせない」

発見から三週間とたたないうちに手術が行われたのは、膠芽腫の進行がきわめて早いからだ。

膠芽腫は早期発見がほぼ不可能ながんである。仮に一カ月ごとにMRIをとっていても、見落としてしまうということを書いている論文もある。それほどに進行が早いのだ。

さらにややこしいのは、正常組織とがん細胞の境目がわかりにくいということがある。まさににかわのように、正常細胞に入り込んでいる。

この病気の難しさを、総合南東北病院で長年脳外科医をやってきた渡邉一夫は「この病気はどんなに上手に手術をしても治せない」と表現した。

しかし、千葉大の医師、岩立は、いつももしかしたら治せるかもしれないと思って手術に臨むことにしている。