夫が「釣った魚に餌をあげない」ワケ

【菅野】なぜ「家庭に無関心な父」が生み出されてしまうのでしょうか。

【斎藤】日本や韓国のように父親を疎外する構造がつくり出されるのは、父親が「夫婦関係のメンテナンスを怠っている」ということが非常に大きいと思います。

家父長制のもとでは、女性というのは男性の“所有物”なんです。ですから、「釣った魚には餌をあげない」でいいわけです。結婚するまでは大事にするが、結婚後は“放牧”してほったらかしにするのが普通で、夫婦の関係性にメンテナンスが必要だという発想がない。

まめにメンテナンスをしないと夫婦関係がすぐに崩れるという自覚がなく、いったん所有したら後はずっとそのままの関係でいられると勘違いしているんです。

【菅野】私の父も、そうだったと思います。父は仕事に、趣味に、忙しい。忙しい“フリ”をして家庭から逃避していた面もあるでしょうが。だけど、そんな逃げ場がある父と違って、母は行き場がないわけです。

娘の私は、そんな母のいら立ちが痛いほどにわかるから、必然的に母子の結束が固くなる。父に絶望し、果てや人生に絶望した母のために、身代わりになって、母の生きられなかった人生を私が生きなければと思っていました。

【斎藤】妻は放っておかれてしまうと、特に専業主婦の場合は自分の存在価値を見失ってしまいがちです。では、何に存在価値を見出せばいいのかといったら、もう「子ども」しかない。

【菅野】子育てにエネルギーを注ぐということですね。

母親がやりがいのすべてを子どもに注ぎ込む原因

【斎藤】放置された妻がエネルギーを子どもに向けるという構図が生み出される原因は、夫にあるわけです。

それでも、多くの夫は稼いで妻子を支えているという思いから、家族のケアは妻がするのが当たり前だと思って妻との関係のメンテナンスをすることがありません。その結果、妻のエネルギーが子どもに向かいすぎて、子どもを苦しめてしまうというような悪循環が生じてしまう。

【菅野】そのような家庭には、普遍的な生きづらさのようなものがあるということですね。

【斎藤】母親がやりがいのすべてを子どもに注ぎ込むことで、子どもがひきこもってしまうこともあるでしょうし、虐待を受けた子どもが耐えきれず家から出てしまうとこともあるでしょう。帰結はさまざまです。

ひきこもりの子どもがいる家庭には、けっこう類似点があるんです。母親は過保護・過干渉、父親は問題から逃避する。たとえば、父親自身が自室に閉じこもってしまう、というのもその一つです。

【菅野】まさに私の父ですね。風呂と、トイレと、食事以外は、かなりの時間、自室にとじこもってましたから。あまりに斎藤先生のお話が父にしっくりくるので、驚いてしまいます。