「経営」は永く、丈夫で、美しい布を織る営み

「経営」という漢字の「経」の字をよく見ていただきたい。

お経の「経」だ。では「経」とは何か。昔、まだ今のような製本技術が発達していない時代に、ブッダの教えを記した紙を束ねるために縫ったその縦糸が「経」である。そして「経本」にはブッダが説いた「苦を離れて幸福に生きるための真理」が書かれている。

つまり経営とは、「真理の縦糸に、創意工夫の横糸を絡ませながら、永く、丈夫で、美しい布を織る営み」のことなのである。

朝の「挨拶」に隠されている本音

「挨拶」もまた、仏教の言葉である。

挨拶の「挨」とは「推しはかる」「近づく」「触れる」といった意味で、「拶」には「せまる」「切り込む」という意味がある。

古来禅宗では、師匠が弟子に何気ない言葉や動作を投げかけ、その返答を持って、弟子の理解(悟り)の度合いをはかるといったことが行われてきた。

そのような問答を「挨拶」と呼んだ。

例えば、会社に出勤して出会った同僚への「おはよう!」に対して、返ってくる「おはよう」の声が小さければ、「あれっ……何だか今日は元気ないな」と、相手の心情や体調を心配する。

例えば、家に帰って放った「ただいま!」に対して奥さんから返ってくる「おかえり」のテンションが低ければ、「あれっ……俺なんかやらかしたかな」と、自分の行動を振り返ってみる。

そんな経験が誰にでもあるはずだ。言葉を交わしながら、そこに言葉でない「何か」も交わされている。それが人間のコミュニケーションだ。そして、その言葉でない「何か」のほうにこそ、相手の本音が隠されていたりする。その「本音」に切り込んでゆくこと。それが禅の「挨拶」なのである。