結局は「お金」の韓国人にドン引き
紹介するもうひとつの記事は、韓国の北韓大学院大学(韓国では北朝鮮を北韓と言います)のキム・ソンギョン教授の体験談です。もともとは『ハンギョレ新聞』(2024年3月3日)に掲載された「南と北の物質主義」という記事の一部で、「統一というものを必要以上に物質主義で見ていないか」とのリベラル・メディアならではの記事でした。
外国に移民したキム教授の友人(韓国人)が、久しぶりに韓国を訪れましたが、韓国は10年前よりずっと物質主義な考え方が強くなっていて、もう完全にドン引きしてしまったという内容です。
一部を引用すると「異国の地で故郷に思いを馳せていた友人だが、韓国の変わり様にびっくりしたという。なによりもまず、人々があまりにも変わってしまったというのだ。誰に会っても、どこに行っても、どんな話をしてみても、結局は『お金』が結論になってしまい、本当に胸が苦しいという。たしかに、多くの資本主義国家で似たような傾向があるものの、韓国ほど『お金』が絶対的な基準であり、目的である国家は、珍しいだろう……誰もが、お金に対する欲望と、それによる不安に苦しんでいる社会、それがいまの韓国の素顔なのだ」というものです。
2000年代初めは“清貧”が流行していたのに…
これに対して少し個人的な意見を書いてみるとすれば、果たして10年前は異なっていたのでしょうか。あまり変わっていないと思います。
2000年代になった直後ならわかります。異なっているように思えたかもしれません。経済破綻による「IMF(国際通貨基金)管理期間」と資産価値暴落、そして2003年から始まった、クレジットカードの無分別な普及(子供でもクレカ発給が可能でした)と使い過ぎによる個人破産の急増、いわゆる「カード大乱」などが起こった時期。
先ほども、当時“清貧”、すなわち清らかな貧しさを求める「ソンビ精神」が流行したと述べましたが、ちょうどその期間、一時的に物質というものに“呆れる”人たちが増えました。ですから、当時の韓国社会の物質主義が、いまより弱かったと思えるのかもしれません。