※本稿は、シンシアリー『Z世代の闇 物質主義に支配される韓国の若者たち』(扶桑社)の一部を再編集したものです。
物質主義に抗おうとした韓国人
読者のみなさまのなかに、「韓国人は物質主義(拝金主義)が強い」という話を目や耳にされた方はおられませんか。韓国関連情報を載せている本、論文、新聞記事などをチェックしていると、意外なほどこの話が出てきます。
韓国でも経済的格差という言葉が広がり、借金による“投機熱風”に全国民が包まれていた2006年。韓国政府公認で「他人に配慮する生き方をしましょう」という趣旨の公共キャンペーンが展開されたり、物質主義に反発するような考えが人気を集めていました。
借金によるマンション投機が蔓延しているなか、理想と現実の間にかなりのギャップがありましたが、とにかくウケはよかったと記憶しています。「私は投機をするけれど、他の人たちは、物質主義に陥ってはならない」と考える人が多かった。意地悪な書き方をすれば、そういうことになります。
「他の価値を犠牲にしているから問題だ」
2000年代から広まった「貧しいけれど清らかな生き方をした(に違いない)朝鮮時代の『ソンビ精神』を見習おう」という風潮も、こうしたキャンペーンの人気を支えていました。
この頃からメディアの記事も「精神」「配慮」「幸福」などをテーマにしたものが増えましたが、特に「主観的幸福感(Subjective well-being)」という論文で有名なイリノイ大学の心理学教授、エド・ディナーさんが、2010年8月17日の『東亜日報』とのインタビューで「韓国人は過度に物質中心的で、社会的関係の質が低い」、「物質主義的価値観自体が悪いわけではないが、社会的関係や個人の心理的安定など、他の価値を犠牲にしているから問題だ」と話したことが、個人的には印象的でした。短く、優しい論調ですが、的確だったからです。