「地元十勝の小麦を使いたい」農家を説得して回る

満寿屋は創業した頃は輸入小麦でパンを作っていた。だが、杉山の父で2代目社長の健治が「輸入小麦より安全性が確認できる国産小麦にしたい。それも地元十勝の小麦を使いたい」と決意し、ひとりでパン用小麦を栽培してくれる農家を探し始めたのである。

「満寿屋商店」社長の杉山雅則さん(撮影=プレジデントオンライン編集部)

そうして、地元の小麦栽培農家を説得していた時、がんにかかっていることがわかる。それでも2代目の健治は農家を回り、説得して歩いた。何度も何度も家を訪ね、根負けして協力してくれるまで農家の主人と話をし、新しい品種の国産小麦を植えてくれるよう頼んだ。粘り強く頭を下げることだけが新しい品種、そして十勝産小麦を手に入れる道だったからだ。入手しなければならないのは小麦だけではなかった。地元の野菜や牛乳、乳製品も探し、パンの中に取り入れていった。

そして、一定量の小麦を得た後はパン作りを開始した。だが、新しい品種の国産小麦の性質をつかんでいなかった健治、部下の職人はパン作りにもさんざん苦労した。これまで使っていた米国産小麦を国産小麦に切り替えるにはパン作りに使う水、バター、砂糖などの量を調整して変えなくてはならない。一からテストしてレシピを作り直すという作業が必要だったのである。

撮影=プレジデントオンライン編集部
とにかく広々とした十勝の風景。「麦音」では東京ドーム並みの広大な敷地でピクニックを楽しんだり、カフェスペースでくつろいだりできる

父が叶えられなかった夢を継いで

もっとも苦労したのは食パンだった。小麦粉と水などの含有バランスを確定させるまで何度も作り直さなくてはならなかった。絶妙なバランスでなくては十分にふくらまないのが食パンだ。

ところが、栽培、パン作りに取り組み始めてから少したった1992年、健治はがんで亡くなってしまう。後を継いだ妻の輝子は泣かなかった。夫の志を受け継ぎ、彼女もまた農家を回って頭を下げた。

夫の後を継いで社長を務めた杉山輝子さん。現社長の雅則さんの母である。(撮影=プレジデントオンライン編集部)

小麦のほか、あんパンに使う小豆、総菜パンに使うとうもろこし、クリームパンの原料の牛乳、バターなども地元、十勝の農家から仕入れていった。パン作りも見守った。そうして少しずつ、パン用小麦の生産量は増えていき、また、満寿屋も少しずつパンの製造に地元産小麦を使用し、種類を増やしていった。

2012年、満寿屋は全店の商品すべてを十勝産小麦で作ることを達成した。杉山の父、健治が挑戦を始めてから23年後のことだった。会長だった輝子は全店の従業員や取引先を集めたパーティで喜びの踊りを踊った。若いころ、東京の劇団で女優だった輝子にとって喜びを表す最大の表現はみんなの前で自ら踊ることだったのである。