「そうしないと売れないから」というホンネ

もちろん、安全対策に関する規制強化への対応という側面があることは認めます。しかし、もし安全を第一に考えるのであれば「出力を低下させる」「速度を落とす」といったアプローチが真っ先に考えられるわけですが、こちらのアプローチは全くといっていいほど採用されておらず、トレンドはむしろ真逆で最高出力も最高時速も高まるばかりで止まる気配がありません。

タテマエの理由はいくらでも出てくると思いますが、ホンネの理由は単純で「そうしないと売れないから」「それを求める顧客がいるから」ということでしょう。

しかし、このような欲求に際限なく対応していくことは、気候変動や資源、あるいは自転車等のサステナブル・モビリティとの都市における共生といったことがすでに大きな問題になっている世界において、もはや受け入れられないのではないでしょうか。

センスの悪い顧客を相手にするとセンスの悪い商品ができる

環境倫理以外に関する問題もあります。たとえば美的センスというのは誰にでも備わっているものではなく、一定の経験と教育と環境を与えなければ育まれないという側面があります。したがって、高い水準の美的センスを持っている人は必ずしも社会における多数派ではありません。

このような社会において、市場の多数派の欲求を精密にスキャンしてそれを商品化するというアファーマティブ・ビジネス・パラダイムを実践すれば何が起きるか? 当たり前の結論として、凡庸な美的感覚しか持たない人たちの美的センスを反映したもので世の中が溢れかえることになります。

この問題について、デザイナーの原研哉は次のように指摘しています。

センスの悪い国で精密なマーケティングをやればセンスの悪い商品が作られ、その国ではよく売れる。センスのいい国でマーケティングを行えば、センスのいい商品が作られ、その国ではよく売れる。商品の流通がグローバルにならなければこれで問題はないが、センスの悪い国にセンスのいい国の商品が入ってきた場合、センスの悪い国の人々は入ってきた商品に触発されて目覚め、よそから来た商品に欲望を抱くだろう。

しかしこの逆は起こらない。(中略)ここに大局を見るてがかりがあると僕は思う。つまり問題は、いかに精密にマーケティングを行うかということではない。その企業が対象としている市場の欲望の水準をいかに高水準に保つかということを同時に意識し、ここに戦略を持たないと、グローバルに見てその企業の商品が優位に展開することはない。(原研哉『デザインのデザイン』)