ショーケンが抜擢された意味

『太陽にほえろ!』に関してもうひとつ押さえておくべき重要なポイントは、それが青春ドラマとして構想されたことである。いうまでもなく、そのアイデアは青春学園ドラマを知り尽くしたプロデューサー・岡田晋吉によるものだった。

岡田は、『太陽にほえろ!』を拳銃や車を使ったアクションものにすると同時に、自らの経験を生かした青春ものにしようと目論んだ。そこでキーパーソンとなったのが、新人刑事の存在である。なぜなら、青春ドラマの最大の魅力は、物語のなかで主人公が悩み苦しみながらも成長していく姿だからである。

学校を舞台にした青春ドラマでは、そうした若者を登場させるのに苦労はしない。だが刑事ドラマではそうではない。ベテラン刑事や中堅刑事ばかりだと、刑事の成長を描けなくなってしまう。したがって、新人刑事の登場と相成るわけである。そして初代の新人刑事役に起用されたのが、知られるようにショーケンこと萩原健一だった。

萩原は、1960年代後半の熱狂的なグループサウンズブームにおいてザ・テンプターズのボーカルとして活躍。ザ・タイガースのジュリーこと沢田研二とともに人気を二分するアイドル的存在だった。

沢田研二がキラキラした王子様的存在としてファンを魅了したのに対し、萩原健一はナイーブな陰の部分を持つギラギラした不良の魅力で一世を風靡した。その後グループの解散などを経た萩原は、1970年代に入り俳優としての道を歩もうとしていた。

写真=時事通信フォト
2005年6月28日、判決公判で東京地裁に入る恐喝未遂罪に問われた萩原健一被告(東京・霞が関)

これまでになかった「殉職」

そうした萩原の起用には、時代の空気感もあった。1970年代前半、高度経済成長が達成されるとともに70年安保などの学生運動の熱気も冷め、若者たちは生きる方向性を見失っていた。

それは傍目からは「無気力、無関心、無責任」の「三無主義」に毒された「しらけ世代」と映っていたが、実際はその内面に渦巻くエネルギーをため込んでいた。ただそれが向けられるべき目標が見失われていたのである。萩原健一は、まさにそうした屈折した若者の代表のようなところがあった。

したがって、萩原健一が演じるマカロニこと早見淳はずっと悩み続ける。犯人の境遇につい同情してしまったり、銃を構えても撃てずに犯人を獲り逃したりする。そしてまた落ち込む。

ただその繰り返しのなかで、ボスや先輩刑事に支え助けられ、少しずつ刑事としての自覚を身につけるようになっていく。すなわち、成長を遂げる。ところが、そこに大きな逆説も生まれる。成長そのものは無限に続くわけではない。

甘さを残し、周囲につい依存してしまっていた新人刑事も、経験を積むとともに成熟し、捜査のプロとして職業的自覚を持ち自立するに至る。しかし、そうして「プロの刑事」として大人になったとき、成長は止まる。

言い換えれば、青春ドラマとしての意味を失うのである。そこで生まれたのが、「殉職」というパターンである。主役級の刑事が途中で死んでしまうことは、当時は刑事ドラマであったとしてもあり得ないことだった。しかもマカロニは通り魔に襲われて無様に命を落とす。したがって、その死は衝撃を与え、ファンを集めた“葬儀”も営まれたほどだった。