刑事ドラマ史における画期的な発明

刑事もヒーローではなく等身大の人間である、という刑事ドラマにおけるひとつの重要な転換、新たな方向性が生まれた瞬間であった。

この殉職によるドラマからの退場を提案したのは、萩原健一自身であったという(岡田晋吉『太陽にほえろ!伝説』、60-62頁。萩原健一『ショーケン』、64-66頁)。

その背景には、後述するように萩原の『太陽にほえろ!』というドラマ自体の方針への不満もあった。

だがいずれにせよこのパターンがいまも多くの刑事ドラマで踏襲されているところを見ても、それが刑事ドラマ史における画期的な発明だったことは間違いない。

『太陽にほえろ!』において自ら脚本を執筆すると同時に他の脚本の監修者的立場にあった小川英は、「日活の無国籍映画以来のアクションパターン」と岡田晋吉が主張した「青春パターン」の結合が『太陽にほえろ!』の原型をつくったと振り返る(日本放送出版協会編『[放送文化]誌にみる昭和放送史』、296頁)。

小川自身、石原裕次郎や小林旭が演じた日活無国籍アクション映画の脚本を数多く執筆していた。それと青春ドラマのフォーマットは相容れない部分も多いが、逆にそうした異質のものがぶつかり合うことで新しいものが生まれたのである。

「バディもの」全盛の時代に

『太陽にほえろ!』の登場が後の刑事ドラマに及ぼした影響はきわめて大きかった。たとえば、「バディもの」の隆盛と確立は、刑事ドラマは青春ドラマであるという発想からもたらされたものだろう。

チームものではなく、対照的な個性を持つ2人の刑事の対立と友情、そしてそれぞれの成長を描くバディものは、すでに『東京バイパス指令』などもあったが1970年代以降定番化する。その背景にもやはり、先ほど述べた「しらけ世代」の若者の存在があったと思える。

「しらけ世代」とは、社会や組織よりも個人、すなわち自分自身の生き方に関心があるということであり、そこには“自分探し”の要素が濃厚にあるからだ。

バディものではないが、若い刑事が主人公になった作品としては『刑事くん』(TBS系、1971年放送開始)という人気ドラマもあった。主演は桜木健一(ただし第3部まで)。スポ根ドラマ『柔道一直線』(TBS系、1969年放送開始)の主演でブレークした桜木は、森田健作らと並んで当時屈指の青春スターだった。

彼が演じる三神鉄男は新米刑事。夜7時台の30分番組ということもあって明るい作風ではあったが、刑事を志した動機は刑事だった父親を殺した犯人を捕まえるためというシリアスな部分もあった。そうした縦軸のストーリーがあるなかで、三神の成長物語が描かれた。