全店の営業MVPを受賞した理由
新人時代、「自分にはとても株の営業はできない」と考えていた。彼が見ている限り、優秀な営業員とはブルドーザーのように進んでいく山本のような人間だ。何があってもあきらめない。断られても、追い返されそうになっても、それでも営業トークまで持っていく。そういったタイプの人間に自分を改造したいと考えてみたことはあるが、すぐに「無理だ」とあきらめた。平崎はあきらめるのも早かった。
だが、そんな静かな男がなぜか営業員として5年目に全店のMVPを受賞してしまう。営業成績がよかった人間だけが獲ることのできる表彰である。
彼は「運だけでした」と言った。
「運がいいだけです。お客さまを紹介してもらえたんです。その後、紹介に次ぐ紹介というか。やっぱり運だけだったと思います」
そういう男がシンガポールへ赴任することになった。
平崎が大和証券シンガポールのオフィスに着いた時、富裕層セクションはWCSという名称になっていた。所属するものは全員で5人。平崎が加わって6人になった。業績はやっと収支トントンの状態で、平崎は自分の給料を確保するためにもすぐに営業に出なくてはならなかった。彼が見るところ、山本は忙しそうにしていたが、組織一丸となって営業活動に邁進しているといった風情ではなかったのだった。
目をつけたのは「休眠口座」だった
山本以外の人間は海外への留学経験がある、あるいは英語ができるといった観点で選ばれていた。営業経験があったわけではなかったから、電話営業もおぼつかなかったし、まして、シンガポールにある日本人経営の会社や商店に飛び込み営業するなんてことはしていなかった。それでは業績が上がるはずもない。
平崎は営業を始めた。後に山本の顧客を一部引き継ぐことになったが、最初は顧客がいない。山本がやったように、シンガポール日本商工会議所の名簿を見て富裕層と見込んだ人に電話をする。また、移住した日本人が集まっていると聞けば紹介してもらって会合に出席した。元来、営業は好きではなかったが、そんなことは言っていられない。毎日、どこかへ営業に行くことを自分に課したのである。
そんなある日、社内の記録を見ていたら、口座はあるけれど、誰も接触していない顧客がいるのを見つけた。いわゆる休眠口座である。かつて1度か2度、取引したことのある顧客だが、大和証券シンガポールが連絡しないままになっていた。平崎はそういう顧客に対してテレコールを行い、アポイントが取れたら会いに行くことにした。