相手が誰であろうとアポなしでいく

もっと驚かされたのは、松本明子がPLOのアラファト議長(当時)に突撃する企画。その目的は、有名な「てんとう虫のサンバ」の「あなたと私が夢の国♪」という出だしの部分を「アラファト私が夢の国♪」と替え歌にしてアラファト議長とデュエットしたいという、なんともふざけたもの。

1994年12月10日、ノーベル平和賞を受賞したヤーセル・アラファトPLO議長(写真=Government Press Office/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

松本が現地に赴き、周囲に銃を携えた護衛が控える物々しい雰囲気のなかでの交渉だったが、なんと面会に成功。相手は日本語がまったくわからず、さすがにデュエットは叶わなかったが、歓迎されてサインまでくれた。

2人は、このほかにもなにかと話題を呼んだ。

松村邦洋は、他局のナイター中継にゲスト出演した際に、『電波少年』の裏番組を「見てください!」と宣伝してしまった。そのため出演自粛に。そこから視聴者投票で松村をどうするか決めるなど、降板騒動になった。

松本明子のほうは、「紅白潜入」が印象深い。デビューが歌手だった松本にとって『紅白』への出場は長年の悲願。番組中、NHKを訪れて直接訴えたりもした。だが夢は叶わず、結局本番中に合唱団のひとりとして潜入し、「紅白もらった」と大書したのぼりを壇上で掲げる。実際、その姿はNHKのカメラに映し出された。

人間を極限状況に置く

こうした際どい企画を連発したのは、演出・プロデュースを務めた日本テレビ(当時)の土屋敏男。『スターウォーズ』のダース・ベイダーのテーマとともに「Tプロデューサー」や「T部長」として自ら番組中に登場したことでも有名だ。

前回もふれたように、土屋は『天才・たけしの元気が出るテレビ‼』のスタッフとしてテリー伊藤のもとで働いた。『電波少年』の過酷なロケや「アポなし」が、伊藤の発想や演出法を受け継いでいることはいうまでもない。

中でも、テリー伊藤のドキュメンタリー的手法をより徹底したところに土屋の真骨頂はあった。人間を極限状況に置くことで見えてくるぎりぎりの姿のなかに、驚きを伴ったリアルな笑い、そして感動があると考えたわけである。

その大きな成功例となった猿岩石のヒッチハイク企画を受け、無名の若手芸人を起用した企画も次々と番組に登場した。

ヒッチハイク企画第2弾はドロンズ。今度は「南北アメリカ大陸横断ヒッチハイク」だった。2人のゴールする様子は『紅白』の裏で生中継され、15%を超える高視聴率をあげるなどこちらも人気になった。さらにドロンズは、ロシナンテというロバとともに「日本縦断ヒッチハイク」の企画にも挑戦した。