「この世」の格付けが無効化される保健室

「保健室登校」というものがある。これは保健室が、他の教室と違って、医療原理が支配する空間だからである。医療者の誓言は古代ギリシャの医聖ヒポクラテスが定めて以来、基本的には変わらない。重要な誓言の一つは「相手が自由人であっても奴隷であっても、診療内容を決して変えてはいけない」ということである。医療は商品ではない。金で売り買いするものではない。誰であれ、傷つき病んでいる者に対してはなしうる限りの手立てを尽くす。だから、保健室は学校の中における異世界であり得る。そこには査定や格付けがない。その空間だけ「この世」の格付けが無効化される。

そういう異界が学校の中にできるだけたくさんあるほうがいい。美術室もそうだ。そこは芸術の原理が支配する空間である。美術の先生だけが自分を認めてくれて、美術室だけが息のつける場所だったと後年回想する人は少なくない。

図書室も異界であってほしい。そこでは少なくとも「知」については、教室とはまったく違う度量衡で価値が考量される。「入試に出る」とか「それを知っていると就職に有利」というような基準では、誰も知について語らない。それが図書室である。教室には行きたくないけれど、図書室になら行けるという子どもたちが一人でもいたら、それで図書室はもう十分にその役割を果たしていると私は思う。

学校に必要なのは「ミステリアス」な空間

これは真剣に言っているのだが、学校教育の本来の意味を考えたら、学校の中にはミステリー・ゾーンがなければならないし、先生たちの一部は「魔法使い」でなければならない。

内田樹『だからあれほど言ったのに』(マガジンハウス新書)

子どもたちが『ハリー・ポッター』をあれほど喜ぶのは、ホグワーツの魔法学校が秘密だらけで、先生たちがみんな魔法使いだからである。J・K・ローリングの物語は「学校の理想」を描いたことによって世界的なベストセラーになったのである。子どもたちは、この学校に行けば、自分も心に傷を負った時もそれを癒やす人たちに恵まれ、順調に成熟の旅程をたどれるに違いないということを直感したのである。

今の学校で教員たちは「ミステリアス」であることを制度的に禁じられている。それでも、教師たちはその直感に従って、教室に来られない子どもたちのために「ミステリアス」な空間を学校内に創り出してほしいと思う。

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