幸せは「なる」ものではなく「気づく」もの

なぜならば、幸せというのは、「なる」ものではなく、「気づく」ものだからです。私も若いころは、何かをしたり、手に入れたりすると、幸せになれるものだと思い込んでいました。良い大学に入れば幸せになれる、立派な職業に就けば幸せになれる、お金持ちになったら幸せになれる、有名になったら幸せになれる、そう思い込んで生きてきました。

一方で、世の中を見渡すと、これらの要素が必ずしも幸せをもたらすものではないことが、わかるはずです。良い大学に入っても不幸な人もいます。世間で立派と言われるような職業に就いても、お金持ちになっても、犯罪やスキャンダルに手を染めて、不幸になる人もいます。

あるいは、かわいい彼女ができたら幸せになれる、きれいな奥さんと結婚したら幸せになれる、子どもが生まれたら幸せになれる、そう思い込んでいた時期もありました。しかし、これらの要素も、必ずしも幸せをもたらすものとは限りません。

恋人がいても不幸な人はいるし、きれいな奥さんやかっこいい旦那さんと結婚しても、家庭を壊して不幸のどん底に落ちる人がいます。子どもが生まれても、独身時代と比べて自由がなくなったことなどで不幸を感じる人もいます。では、一見幸せをもたらしてくれそうなこれらの要素を持っていても、なぜ不幸に感じてしまう人が出てくるのでしょうか。

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人はどれだけ幸せでも“慣れて”しまう

その理由は、人は慣れる生き物だからです。いわゆる良い大学に受かって、その当初はとてもうれしい状態だとしても、通っているうちにそれが当たり前になって、気づいたらその状態に慣れてきます。

立派な職業に就いても、最初のうちはその喜びにひたっていますが、気づいたらその状態に慣れて、当たり前になってしまいます。すてきな恋人ができてもそうです。気づいたらその状態に慣れて、当初はありがたかったその存在が当たり前の状態になってくる。結婚しても、子どもが生まれてもそうです。あれだけ欲したパートナーや家族であっても、人間は、気づいたらその状態に慣れて、感謝の気持ちを忘れてしまう傲慢ごうまんな生き物なのです。

では、どうやってこの不幸な状態から脱したらよいのでしょうか。

本当は幸せにもかかわらずその状態に慣れて、当たり前だと思ってしまう傲慢さを打ち破る唯一の方法は、今の有り難さに気づくことです。「ありがとう」という言葉はもともと「有り難い」、すなわち、相手からしてもらったことがめったにない、有り難いものであることを由来としています。今あるものに目を向けてみてください。

それらのものは、あなたにとって当たり前ですか?