「エピソード記憶」と「意味記憶」

陳述記憶には「エピソード記憶」と「意味記憶」があり、エピソード記憶は、人の名前や予定、過去の出来事のように、時と場所が特定された記憶である。意味記憶は「1年は365日ある」「冬の次には春が来る」といったように、理解した内容に関する記憶のことであり、それを得た時と場所の情報は伴わない。この2つの記憶は、ともに側頭葉を中心とした大脳皮質全体に保管されている。

岩立康男『直観脳』(朝日新書)

意味記憶は直観を引き出す重要な要素なので、もう少し詳しく説明しよう。意味記憶は「物事の意味を理解した記憶」のことであり、形を成さない「概念」のようなものである。これは通常、言葉にできる記憶に分類されるが、そう簡単に言葉に表せないものが多い。同じ陳述記憶に含まれているが、エピソード記憶が「言語による記憶」なのに対し、意味記憶はあくまでも「理解したことの記憶」なのである。

言語による記憶、特に固有名詞などは個々に脈絡が少ないために忘れやすいが、理解したことの記憶は他の記憶と結びついてネットワークを作っているため忘れにくい。直観を生み出す無意識の中の膨大な記憶のネットワークとは、この意味記憶のことである。意味記憶は、その一部を言語化して表現することも可能であるが、その全貌は無意識の中にあって、無意識の中で働いているのである。

車の運転が経験とともに上達するのはなぜか

例えば、自動車の運転の上達などが挙げられる。経験を重ねることによって、全く同じような状況の再現は起こらなくても、似たような状況において「どのように対応すれば、どうなるか」が理解・記憶されており、より安全で的確な運転ができるようになってくる。こういった運転技術の進歩を言葉で説明することは難しい。それは、ハンドルを回すとかブレーキを踏むといった動作の記憶ではなく、状況を理解し、そこで最適な対応を脳の中で構築するための経験値の記憶のことである。

別の例を挙げるなら、「分数の計算」などはいい例であろう。「分母を揃える」などの考え方は、その原理を一度理解してしまえば忘れることはない。そして、小数などの考え方とも結びついて、脳の中でネットワークが広がり、その人の「数の概念」は飛躍的に豊かになっていく。これなども、先ほどの車の運転と同様に言葉での説明は不可能ではないものの、その意味合いを理解しているかどうかが重要であり、その意味をまだ理解していない人に言葉で伝えることは容易ではない。