神経科学の大きなテーマである「無意識の中での思考」

直観という言葉は、論理とは対立する言葉として捉えられ、非論理的、非科学的、というレッテルを貼られることが多く、一般的には説得力に乏しいとみなされがちだ。

しかし、本当にそうであろうか? 果たして直観は、非論理的なものなのだろうか。

「論理的」というのは、データや根拠を示して理由を説明できるということだ。しかし、こういった調査結果が出ているから、あるいはデータ上この数値がこのように変化しているから、などで決められれば苦労はない。考えてみれば過去のデータがないからこそ、新しい研究、新しい事業と言われるのではないだろうか。

ハス
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多くの場合、脳はデータを読んで直接そこから決める、という形では働かない。実は言葉にできない新旧さまざまな記憶と新たに得られた情報(データ)をつなぎ合わせて、無意識の中で思考して判断しているのである。

この「無意識の中での思考」は神経科学の大きなテーマであり研究途上であると言えるが、1983年のリベットらの有名な研究結果以降、多くの研究者が確認してきた。身体を動かそうという意識下での決断より前に、無意識の世界での神経活動があり、それがある閾値を超えた時に意識され「自由意志」による決断として浮かび上がってくる。人間の脳は、無意識の中で多くの活動、思考をしているのである。

直観を支える「言葉にしにくい記憶」=経験値

後ほど詳しく説明するが、記憶の中には「言葉として蓄える」記憶と「言葉にしにくい」記憶がある。試験などで活躍するのが前者であり、「物忘れ」という時にはほとんどの場合、これを指している。一般的に論理的と言われる決定は、この言葉で表現された記憶をもとになされたものである。

一方で、いろいろな世の中の出来事の持つ意味合いを理解して脳の中に蓄えていくことは、言葉として取り出しにくい記憶である。そして、記憶の量として圧倒的に多いのが、この「言葉にしにくい記憶」なのである。こういった記憶の多くは無意識の中に蓄えられ、年を重ねるごとに増えていき、失われる部分が少ないことが明らかとなっている。いわゆる“年の功”、あるいは“経験値”と言われるものだ。