人は言葉遣いで相手を判断する
今も昔も敬語はなぜ、これほど重視され続けているのでしょう。それは私たちが言葉によって、相手を評価したり判断したりする傾向があるからです。
たとえば何か問題を起こした人のことをマスコミが取材するとき、近隣住民に「あの人はどんな人ですか?」と尋ねると、「ちゃんと挨拶をする、感じのいい人でした」とか、「言葉遣いも丁寧で、礼儀正しい人でした」と答える場面を見かけます。どうも私たちは、挨拶ができるとか、敬語が使える人に対して「ちゃんとした人」とか「まじめな人」という印象を受けるようです。
言葉遣いは、人となりや人格、さらにいえば教養の有無といったことまで判断する材料になり、挨拶をする人やきちんとした敬語が使える人には、信頼を寄せる傾向があります。だからこそ敬語を間違ってしまったときに人は、自分の内面が疑われる、信頼してもらえない、人間関係や場面を正しく認識できていない人だと思われると感じ、恥ずかしくなるのです。
ビジネスでは、相手に対する印象を左右しますから、商談の成否にも関わります。私が夫の親と二世帯で住んでいた頃、それぞれの世帯で別々のメーカーのクルマに乗っていました。A社の営業マンはラフな言葉遣いであるのに対して、B社の営業マンはきっちりとした敬語を使う人でした。個人的にはA社の営業マンは話しやすかったのですが、冷静に比較してみた場合、信頼度が高いのはやはりB社です。敬語は気持ちよくお金を払っていただくための小さな魔法。そういうところで会社のブランドイメージは形成され、長い年月の間に大きな差がついてしまうと思うと、言葉遣いというのはビジネスにおいて重要だと感じました。
敬語を使いこなす2つのポイント
では、敬語はどのようなことに気をつけて用いればいいのでしょうか。ポイントを2つ紹介しましょう。
1つ目は、敬語における“不規則変化”をする動詞を使いこなすこと。たとえば「言う」は、尊敬語が「おっしゃる」、謙譲語が「申し上げる」というように、原形をとどめない変化をします。そのような動詞は、ほかに「来る」「食べる」「見る」「知る」などがあります。中学時代に、英語の不規則変化動詞の過去形や過去分詞形を覚えたように(たとえばgo -went -gone)、尊敬語と謙譲語を丸暗記するとよいでしょう。これらは知識として知っていないと使えない敬語なので、使えれば知的な文章に見えます。
2つ目は、同じ表現ばかりにならないように、ふだんから意識してバリエーションを増やすことです。1つ目のポイントで触れた“不規則変化”をする動詞に加えて、尊敬語を作ることができる「お〜になる」「〜なさる」と、謙譲語を作る「お〜する」「〜いたす」「させていただく」などを合わせて使えるようになると、表現のバリエーションが広がります。
以上がポイントですが、人間関係というのはやり取りしている間に距離が近づきます。いつまでも同じ距離感の敬語では、相手も戸惑うはずです。敬語は適切な距離感を掴み、それに合わせて使うのが基本。常に同じ距離感でいいとは限りません。
たとえば会話の場合は、相手の発言への反応で、「なるほど!」や「面白い!」などの「タメ語」を入れるのもよいと思います。もちろんすぐに敬語に戻すのですが、自分側のことを咄嗟に述べるとき、距離を縮める言葉を差し込むのがポイントで、より関係が良好になると感じています。
アメリカでは、親しみを込めることがポライトネス(礼儀)です。バイデン米大統領と菅義偉前首相は、「ジョー」「ヨシ」と呼び合っていました。ですが、アメリカのカルチャーでは、ファーストネームで呼び合う関係は特別親しいわけではなく、礼儀として行っているだけなのです。
そのように、お国柄によっても言葉遣いと親疎の関係は変わりますから、言葉を用いた距離感の取り方はいつも一定ではありません。大谷選手の結婚発表では、英語も同時に配信されていました。日本語はきっちりとした敬語でしたが、英文は友だちに話しかけるような、親しみのこもった文章でした。それがアメリカにおける「礼儀」だからです。アメリカのファンの特性をよく知ったうえでの文面だと思いました。