イヌやネコの命の価値は「生存権」では語れない

人間は有機体としての生の持続だけでは満足できない。これは重要な人間生活に対する指摘であり、私たちが認知症などを、もし痛みを伴わないとしても、恐れる理由でもあるだろう。それを認めるにやぶさかではないが、それは人間の生の分析であって、動物には関係のない話である。

村松聡『つなわたりの倫理学 相対主義と普遍主義を超えて』(角川新書)

生存権の議論は、心理的な持続をもつ生存とその欲求に基づく権利論を動物に当てはめ、自己意識をもつ動物に生存権を認め、自己意識をもたない動物は生存の価値が低いと考えて二分化する。

なぜ、人間が満足できない生は、動物においても同様に生の価値が低いのか。なぜ生存権によって動物の生の倫理的扱いを考える必要があるのか。その根拠を示しているわけではない。動物の生とその価値は、それ自身から、すなわち動物の生活と生態系の中で位置づけるべきではないか。

イヌやネコは人間のような自己意識をもたないとしても、独特の生を実現している。動物それ自身のあり方を理解する開かれた謙虚な態度を、動物の権利論は生存権を持ち出したため、ふさいでしまった。

動物を擬人化し、人間社会の生存理解に取り込んでしまう

シンガーは以上のような問い、動物の独自の生の問いを探求しようとはしない。驚くべきことに、彼はほとんど全ての哺乳ほにゅう類が自己意識をもつと想定している――それどころか鳥にも自己意識を認めている節がある――。

その結果、私たちが倫理的扱いを問題にするウシやブタ、イヌやネコなどの生を、自己意識をもたない欲求レベルにある動物として考える必要がなくなっている。こうして、人間の生の欲求と、それとは異なる動物の生への欲求との対比が隠されてしまう。

選好功利主義では人間とイヌの生命は程度問題として比較考量が可能になる。権利概念に結びついた生存権の視点では、動物の固有の生の理解は視野に入らず、擬人化して人間社会の生存理解に取り込んでしまう。

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