非出産者なりの「社会的養育活動」

子供を産まず、育てない人たちは自分勝手だという見方は、彼女たちなりの社会的養育活動をいとも簡単になかったものにしてしまうことに使われたりもする。もちろん、個人としての養育者と社会的養育者の両方の役目を果たす人もいるけれど、世間で言われるように非出産者がそのどちらもしていないというわけではない。

今、誰かの家で保護されている子供がいたとして、その子は子供を産んでいない人たちの努力によってよりよいところで暮らせているということだってあるだろう。少しでもよい大人になろうと努力し、過去の自分を恥じ、私と違った生き方をしている人たちに目を向けることは、自分の子を保育所に連れていき、家で食事を用意して待っている姉の心の延長線にある。

ジュンとソルが将来何になるかわからないという事実は、私の世界まで柔軟性のあるものにしてくれる。だから、あきらめられない。ジュンとソルがかわいくてたまらないから、私は今のまま力いっぱい生きることをやめられない。

「なぜ自分の子を産まないんだ」と言うのはやめよう

母方の伯母がどれだけ私の世界をよりよいものにしてくれたことか。いつか、彼女が私にとってどんな存在であるかを本人にじっくり話して聞かせてあげたいと思いながらいまだに実行できずにいて、だからこれを書いている。なぜなら、今でも伯母は私に会うと愛情を示すのに忙しく、話す隙を与えてくれないからだ。そういう私も、伯母の温かさをめいっぱい味わうのに忙しくて話す余裕がないのだけれど。

私にとってとても大切な人、私を作った大きなピースの一つである伯母のチョン・インソンにこの文章を捧げたい。月のような彼女のおかげで私もそんな叔母になりたいと思えるようになったことが、私の成長にどれだけ役に立っていることか、想像もできないだろう。

そして、もう一つ。子供がそんなに好きなら、どうして自分の子を産まないんだと言うのは本当にやめよう。そんな論理なら、ビール好きの私はまず醸造所を作らなくてはならないことになる。人生はそんなに単純なものではないのだ!

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