※本稿は、クァク・ミンジ著、清水知佐子訳『私の「結婚」について勝手に語らないでください。』(亜紀書房)の一部を再編集したものです。
「愛されている」という確信を与えてくれた伯母
私は母方の伯母がとても好きだ。私が幼いころ、伯母は出版社で働いていて、彼女の定番ファッションともいえる青いスーツが私は本当に好きだった。彼女は私が知っている中でいちばん優しい大人で、一緒にいるときはいつも愛されているという確信があった。あの温かいまなざしが恋しくて、母方の親戚に会いにいくときはいつもうきうきした。
彼女は母と違って私を叱ったりしないし、父と違って私をからかったりもしなかった。当時も今も、色黒であまり笑わなかった私はかわいらしい子供とは程遠かったけれど、彼女といるときだけはそんなことを忘れられた。
彼女は、うちの家族が大田に住んでいたとき、ワンオペ育児をしていた母とかわいい2人の姪に会うためにしょっちゅう訪ねてきた。いつも本やかわいい洋服をたくさん持ってきてくれて、中でも私はすべすべした素材のワンピース型のパジャマが気に入っていた。その理由の一つは、いつもお下がりを着ていて新しい服を買ってもらうことはほとんどなかったからで、うれしさは格別だった。
二つ目の理由は、そのパジャマの体を包み込む優しい感触が彼女のまなざしに似ていたからだ。「伯母さんがいちばん好きだな」、「伯母さんがいちばんきれい」、「伯母さんは私を好きなんだ」といつも考えていた。彼女が大きな満月のように柔らかい光を放ちながら私を抱きしめてくれる人だとすれば、私はいつも窓を開けてその大きな月を見つめるように彼女を慕っていた。
育児は死ぬほど大変なこと
甥ができたことは私にとって大きな事件だった。かわいいのはもちろんだけれど、あまりにも好きすぎて見ているだけで胸がいっぱいで、甥が飛び跳ねていると、目を離した隙にけがでもしたらどうしようとどきどきするほどだ。
姉が産後うつで苦しんでいたとき、「子供がかわいくて仕方ないのに、かわいいでしょうって自慢できる相手がいなくて。それがとても寂しい」と言ったことがあるが、私はすぐにその言葉の意味を切ないほど理解した。そして、育児は物理的に死ぬほど大変なことではあるけれど、育児ストレスの本質は死ぬほど愛する気持ちそのものだということも知った。
体力と精神力を絶えずすり減らし、満身創痍の状態でも最善を尽くしてあげたいと思う切実な気持ちがどれだけ心を疲弊させるかを垣間見てからは、姉に仕事のことで泣き言を言ったり偉ぶったりしなくなった。