産まないことで「機動性のある叔母」になれる

子供を愛するあまり子供を持たない人がいる。新しい生命を誕生させることは崇高な行為だけれど、すでにこの世に生まれ落ちた命に大きな関心も持つことも大事だ。そして、出産しない女性のサンプルであることも、社会的な共同保育の一環だと信じている。

クァク・ミンジ著、清水知佐子訳『私の「結婚」について勝手に語らないでください。』(亜紀書房)

私が非婚、非出産で生きることによってジュンとソルに何かあればすぐに駆けつけられる機動性のある叔母になり得ると同時に、非婚、非出産で生きてもいいのだという当然の選択肢を子供たちに示すことができるという点で重要だ。声も性格も似ている年子の姉と私はまったく異なる生き方をしているけれど、それは単なる差異であってどちらかが間違っているのではないということを示すために私たちは、それぞれの場所でそれぞれのことを語る。

ジュンの夢は叔母さんみたいな作家になることで、ソルは母親のやることをそっくり真似をする。私たちはつねに2人を抱き寄せ、何になっても何をしても構わないのだと伝えたくて一生懸命生きている。

「養育者」にはいろいろな形がある

あるアメリカのドラマで、病院の院内保育所に子供を預けていく女性医師にほかの医師が力強く声をかけるシーンがある。

「子供に悪いだなんて思わないで、堂々と行ってくるねと手を振って職場に向かいなさい。そんな母親の後ろ姿を見ながら、あなたの娘もあなたみたいな格好いい女性になるはずよ」

そばにいて頰に口づけをしてくれる養育者もいれば、私の伯母みたいに大きな月のようにいつでも眺めることのできるロマンチックな存在でいてくれる養育者もいる。傍らで子供の安全を守る養育者もいれば、まだまだ危険な世の中を少しでも安全にしようと外の世界で懸命に働きかける養育者もいる。私は主養育者である両親だけでなく、そんな多様な養育者のおかげで多くの短所や欠陥を補い、保護されながら生きてきたと思う。

写真=iStock.com/Hakase_
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