『ジャスピオン』の最高視聴率は驚異の15%
大手放送局のドアを意気揚々とたたいたが、対応は期待に反して冷たかった。
「日本人が作った“缶詰”なんか要らないよ、とまで言われた」(江頭さん)
テレビ局担当者のその返事は、”日本の安っぽい既製品”と作品をさげすんだものだったという。交渉を重ね歩いた挙げ句に放送に乗り出したのは、当時開設されたばかりのテレビ局「TVマンシェッチ」だった。
88年に『ジャスピオン』と『チェンジマン』のテレビ放送が始まるや、瞬く間に子供たちを魅了した。各地の学校で子供たちの話題を独占し、放課後の草サッカーは特撮番組を見てからにしたという逸話を筆者も聞いたことがある。
月~金の午後1回の放送が、午前・午後の2回になり、やがて毎日朝・昼・晩3回放送されることになり、視聴率は、平均8~9%を記録。こと『ジャスピオン』においては最高で15%に達したのだった。
これを勝機と捉えた江頭さんは、当初外注から始めたお面やおもちゃなどの関連グッズの製作も自社で行うようになり、ヒーローショーの興行もサンパウロ、リオデジャネイロ、ベロオリゾンテのブラジル三大都市の体育館、サーカス会場で行った。最盛期の従業員数は約390人を数えた。
他のテレビ局も後追いで特撮ヒーローを次々放送
『ジャスピオン』と『チェンジマン』は何度も繰り返し放送された。その後、エベレスト・ビデオが新たに持ち込んだ『超新星フラッシュマン』(ブラジル放送89年)、『仮面ライダーBLACK』(91年)、『光戦隊マスクマン』(91年)、『時空戦士スピルバン』(91年)、『特警ウインスペクター』(94年)のほか、後続の同業他社による『世界忍者戦ジライヤ』(89年)、『風雲ライオン丸』(89年)、『電脳警察サイバーコップ』(90年)、『機動刑事ジバン』(90年)などが続々と放送されたのだった。
これに泡を食ったのが大手テレビ局各社。ブームにあやかれと、一度は冷笑した日本製特撮ドラマの放送を始めた。90年から他局で放送された作品は『超人機メタルダー』(TVバンデイランテス:90年)、『宇宙刑事シャリバン』(TVバンデイランテス:90年)、『大戦隊ゴーグルファイブ』(TVバンデイランテス:90年)、『宇宙刑事ギャバン』(TVグローボ:91年)、『宇宙刑事シャイダー』(TVグローボ/TVガゼッタ:92年)などがあった。