日本では鳴かず飛ばずだった『ジャスピオン』で本格始動
江頭さんは日本の親戚に頼んでテレビ番組をせっせと録画してもらい、年に数回訪日しては、かさ張るカセットから外したビデオテープを200~300本ずつ運んだ。恋愛ドラマ、歌番組、アニメなど雑多なリストには特撮ドラマも含まれていたのだった。
その特撮ドラマにまず反応したのは、子供と一緒に鑑賞したテレビ局営業担当の旧知の顧客だった。「これは売れるぞ」と江頭さんに一緒に制作会社とライセンス契約を締結することを持ちかける。
「結局その人はテレビ局とのしがらみもあって話を降りたので、私は1986年半ばに独りで東映の本社を訪ねました」と江頭さんは懐かしむ。東映の社員に遠い南米からの珍客としていぶかしがられながらも、ライセンス契約にこぎつけた経緯を振り返った。
「その際に東映が提供してくれたのが、日本で放送を終えたばかりの『巨獣特捜ジャスピオン』と『電撃戦隊チェンジマン』、そしてロボットアニメ『特装機兵ドルバック』の3作品だったんです」
なるほど、日本ではどちらかと言えば“鳴かず飛ばず”だった作品がブラジルでのブームの幕開けを演じたわけだ。
ブラジル国内のビデオ店に3000本を販売
これらの作品をポルトガル語に吹き替えたことで、もっぱら日本人・日系人相手だった江頭さんのニッチな商売は、会社「エベレスト・ビデオ」の設立とともに、ブラジル各地の都市部で増えるレンタルビデオ店にビデオを販売する事業へとベクトルを転じたのだった。
各地のレンタルビデオ店オーナーらが商品として好んだのはロボットアニメの『ドルバック』だったが、子供たちが熱視線を送ったのは特撮ヒーローものだった。電話で受けた問い合わせは特撮ドラマに関するものが多かったという。江頭さんは数々のレンタルビデオ店に特撮ドラマ2作品のビデオを各2000~3000本程度販売したと記憶している。
あまりに好調な特撮ビデオの売れ行きを目の当たりにし、江頭さんはテレビ局での放送もできるのではと考えるようになった。