実の父に認知されなかった境遇が笠置と林には共通していた
林は、暗い現実を詩情豊かな文体で描く作家である。それは、彼女の成育歴と無縁ではあるまい。
父・宮田麻太郎と母・キクの間に生まれたものの、父は林芙美子を認知せず、彼女は母方の叔父の戸籍に入った。実父の浮気で、母娘は番頭の沢井喜三郎と共に行商人となって、九州の炭鉱町をまわった。
当然、林は小学校を何度も転校した。こんなところにも、生後すぐ養女に出され、親の仕事の関係で5回も小学校を転校した笠置との共通点が見てとれる。
林は『放浪記』を出した頃は、サロンの女給をしていた過去などから、世間や文壇から軽く見られがちだったし、戦争中は軍部に協力したとして、戦後は不本意な評価を甘受しなければならなかった。
その屈辱をバネに戦後の林は、流行作家として書きに書きまくった。文名は上がったものの、林は屈折した思いをつねにかかえていた。それが文壇秩序を乱す発言にもなって、周囲の顰蹙を買うことも多かった。
そんな林にとって、昭和6年(1931)にパリにわたり、薄暗い寄席で聞いたシャンソニエールの思い出は強烈で、また甘美でもあった。それゆえ彼女は、パリのシャンソニエールのみならず、日本でも陰影のある歌手を好むのではないだろうか。
林にとって笠置は、たんなる流行歌手ではなく、自分の鬱屈した心情を預けられる同じ体質・匂いを感じる歌手なのである。
林はパリのシャンソン歌手のように陰のある笠置の歌を好んだ
その証拠に林は、「彼女がパリで生まれていたならばと、私はふっとパリの小さな寄席の数々を思い出していた」と回想する。
林の目からすると笠置は「日本でただ一人のオトナの歌手」だ。笠置の歌から、「しっとりと春の雨に濡れたマロニエを思わせる巴里風の湯気がゆらゆらと立ちのぼってくる」と詩的に表現する。
これは決して贔屓の引き倒しではなく、強烈な原色を身にまとってはいるが、一面都会的で大人の香りがする笠置の本質的な部分を言い当てている。「ブギの女王」には、そんなスパイスが隠し味となっている。