上流貴族の息子でも馬鹿にされ、結婚もできない
「松」に「待つ」、「朝明け」に「浅緋」を掛ける。為憲は松のように万年緑かと嘆き、順は待っても待っても色濃い朝明けにならない空を、虚ろな目で眺める。為憲は期待した五位になり緋衣を着ることができたが、順は深緋の衣を着る四位になることなく人生を終えた。
順の歌のように掛詞が多用されて技巧的に作られていると、本当に嘆いているのかと疑いたくなるが、それが事実であることは、悲嘆振りが官位のみならず、官職にもあったことと考え合わせると納得できる。そのことは後で話そう。
上流貴族の息子でも、緑の袍の六位では馬鹿にされて、結婚もできない。『源氏物語』の光源氏の息子夕霧は、上流貴族の子だから四位からスタートするはずなのに、父の教育方針もあって緑の袍の六位に任じられた。恋人雲井雁と密かに愛し合っていたが、女の乳母は「六位風情の男ではね」といちゃもんを付ける。夕霧は、
(貴女を思って流す血の涙で、深紅に染まった私の袖の色を、六位風情の浅緑よと、言い貶してよいものでしょうか)
夕霧(『源氏物語』第二十一帖「少女」)
と嘆くのであった。「言ひしをる」は言い貶すこと。
正月に行われる「昇進発表」に一喜一憂
昇格するかしないか、特に五位の人の四位への欲望は強烈なものがあった。「貴」は無理でも「通貴」の最高にはなりたいのだ。昇格の発表は正月に行われる。都詰めの官僚には直ちに結果が分かるが、地方官はそうはいかない。小野好古の哀れなエピソードがある。
大宰大弐小野好古は、藤原純友反乱鎮圧のために西国に下っていた。今年こそ四位になるはずと思っていたが、結果は分からない。やがて都にいる友人の源公忠から手紙が来た。
手紙には諸事を書き連ねているが、昇格云々は書かれておらず、月日が書かれ手紙は終わりの体裁をとる。だがその後に、追伸の形で一首の歌が書かれていた。
(二年もお逢いしていない貴方に、五位の緋の衣のままの姿でお逢いするとは思いもよりませんでした) 藤原公忠(『大和物語』四段・『後撰和歌集』雑一・『源公忠朝臣集』)
この歌を見た好古は、この上もなく泣いたという。