女性記者は政治、経済、社会部の中核部署に配属されにくい
一方で、ジェンダーによる配属や担当のふるい分けも行われている。女性は重要拠点に配置せず、重要な担当もさせないことが多かった。一度はやらせても、いずれキャップやデスクなどの管理職になるような人材には育てない。社内結婚をした場合も、夫は政治、経済、社会部の中核部署へ、妻は最初から、一定の時刻に帰宅しやすい生活家庭、文化、整理部へ行く、といった人事がたびたび行われてきた。
そのようにして多くの女性記者が、「女性だったら働きやすい」と思われる内勤職場や、出世コースに乗っていない部署に何となく行かされている、と吉永氏は指摘する。世論調査など周縁の部署や業務職への配属もある。
出産後は、特にふるい分けが顕著になる。政治、経済、社会部にいた場合も、職場復帰の際は内勤部署などへの異動を打診される。たとえ元の部に戻っても、融通はきくが、メインではない持ち場の担当となり、そのままそこがマミートラックの場になったりする。
「子供を産んだらキャリアは終わり」という考えが残る
会社側からすると配慮の結果とも言えるが、まるで出産がペナルティのように扱われることで、「子供を産んだらキャリアは終わり」という考えが、つい最近まで新聞内部では強かった。1面トップになる特ダネを飛ばしていても、地方支局勤務の段階で出産すると、「プロ意識が足りない」と言われることも。出産したある女性記者は「母親であることを隠したかった。弱みになると思っていた」と振り返る。
能力や適性とは別に、出産が女性記者をジャッジする材料として使われる。女性記者の間で、「産んだ」「産まなかった」で分断が作られていく。そのため結局産まなかった女性記者も多かったし、産んだら退社、が当然視されていたようなケースすらあった。
2000年代以降は、それでも産み、その後も辞めない女性記者が徐々に増えてきた。雇用機会均等法の定着、先行世代の置かれた状況への疑問、また子供を持つことは多くの人がしている当然の人生の営み、という意識が広がったためだ。
「子供が育ち上がったら状況が変わるかもしれないと思って、働き続ける女性記者は結構多かった。でも転勤を伴い、キャリアアップにつながり、編集の中心となるステップとなるポジションには結局、女性を行かせないことが見えてくる」と吉永氏は言う。起用されたところで、既に収入の点でも昇進スピードの点でも、男性と大きな差がつけられている。