好きなキャラの言葉で日本語を学習している

【山本】イスラーム世界を結ぶサブ・カルチャーとして日本のアニメやマンガがあるのは素晴らしいことですね。僕の周りでも『NARUTO』のアニメで使われている日本語だけでしゃべる学生がいます。

イスタンブールの大学で日本文化に関するイベントをやったときに、後ろからいきなり「また会ったな」って声をかけられました。振り向いたら、会ったこともない学生なのに、「うまくやっているようだな」と言われた(笑)。聞いたら、『NARUTO』など日本のアニメの大ファンで、好きなキャラクターの言葉だけで日本語を覚えていたんです。

特に一番好きなシーンが、長年恨みを抱き続けていたキャラクターと会ったときの会話だそうで、そういうマンガの中のキャラクターのセリフで会話が成立すると思っているんです。実際、確かに成立はしているんです。僕も分かっているから。「だってばよ」と言うのもそのノリのやつですね。

写真=iStock.com/icenando
※写真はイメージです

「アニメ日本語」を教養語にするべき

【中田】それをオタクの言葉だからダメだと頭ごなしに言うのは間違っていますよね。私はむしろ貴重なコミュニケーションの機会だと思います。

今、若者の間に教養というものがなくなっています。昔のように教養としてみんなが読んでいたものがなくなっているからです。ところが『NARUTO』のような人気マンガが、まさに昔の古典にあたるような現代の若者の基礎教養になりつつあるんです。だからこそアニメの日本語を教養語として身に付けるべきなんですよ。

しかも、そうしたマンガに込められたメッセージは非常に東アジア的なもので、学ぶに足るものです。さらに言うと、実はその価値観がイスラーム圏ともかなり近いのです。

例えばそれは師弟の関係とか、修行とか、身体知とか、そういう理念だったりします。ですから、今、まさに戦後日本の理念を世界に広めていくチャンスが到来している。

そのためにはまずトルコ世界で、東アジア研究、それも日本と中国と韓国の密接不可分な地理的・歴史的・政治的・文化的・経済的相互交流を視野に収める方法論を生み出そう、教える側がまず自分たちで東アジアの諸民族の協和、共和を体現し、その姿を示すことで、東アジアの一体性、共存の在り方をトルコ世界に知らしめていこう、というわけです。