国語の教科書に多く見られる「自己犠牲」の物語
他方、日本の教科書には自己主張を促すものは一篇もありません。むしろ逆に、自分を主張することなく黙々と善を為したり、誰にも知られないまま滅んでゆく「自己犠牲」の物語が多く見られると指摘されています[※2]。
この傾向はいまの教科書を見ても大きく変わっていないように感じます。『ごんぎつね』『スーホの白い馬』『一つの花』など、もちろん文学的には素晴らしい作品です。しかしそのような受忍がテーマの作品の多さは、自分の意思を人に伝える「話す力」という観点ではプラスにならないという懸念もあります。
2022年度から高校の選択科目として導入される「論理国語」は、新しい学習指導要領において「論理的な文章や実用的な文章を読み、その内容や形式について、批評したり討論したりする」と説明されています。自己表現や他者と対話するカリキュラムとして期待されました。しかし根強い文学国語への愛着からか、なかなか教材が採択されない学校が多いそうです。
これらの状況を踏まえると、国語という教科単独で話す力を育むのはなかなか難しいかもしれません。国語だけに依拠するのではなく、科目を問わず子どもたちの発信を支えていくことが大切なのだと感じます。
学力の低下を理由に軽視された「話す・聞く」
言論を抑制してきた歴史やカリキュラムの不足について語ってきましたが、実はその歴史のなかでも話す力が育まれる可能性は何度か生まれていました。しかしそのどれもが頓挫してきたのです。
話す力が日本で初めて体系的にまとめられたのは、1918年に出版された『話し方教授』だといわれています。このような機運から児童の主体性を重視した大正自由教育が花開きます。ところがその勢いは戦争遂行のために頓挫します。
戦後の新教育の実施では音読が禁止され、話し合い学習が多用されるようになります。1951年には学習指導要領試案ができ、「聞くことの能力」とともに初めて「話すことの能力」が記載され、学年ごとの習得目標も示されました。しかし1950年代半ばから、教育界の保守的な風潮のなかで教師主導の理解型の教育が復活し[※3]、話すことを重視する教育は「学力」の低下を招く懸念があるという理由で軽視されていきます。
さらに1968年の学習指導要領改訂では、小学校において読み書き能力を充実させるために「話す・聞く」がよりいっそう軽視されます。当時、日本国語教育学会会長で話し言葉の重要性を訴えていた西尾実氏が、この学習指導要領の報告の場で演壇ににじり寄って抗議したという記述が残っています[※4]。1977年の改訂から始まり期待された通称「ゆとり教育」のなかで、話す力につながる教育が復興を遂げるも、やはり学力の低下をたたかれて頓挫しました。