「マインドコントロール」とノアの箱舟

よく言えば、自由。悪く言えば、組織として統率されていない、厳しいガバナンスがあるように思えない。

しかし、世間的には「高額献金や霊感商法が組織的に行われている団体」と見えている。この表面的なイメージと「実像」のギャップがなぜ生じるのか。これがずっと私の中で疑問として残っていた。

しかし、この日、伊藤さんに会って話を聞いてなんとなく見えてきた。一般信者が驚くほど、畏敬の念を抱くほどの「マジメすぎる信者」というのは極端な話、「神様」しか見ていないので、浮世のことなどにとらわれない。だから、時に社会の常識やルールを大きく逸脱してしまうような「暴走」をしてしまうのではないか。

この構造は、まさしく「ノア」がわかりやすい。

「大洪水がくる」という神様の言葉を信じ箱舟をひとりで黙々とつくる、というのは宗教的エピソードとしては何も間違っていない。信者の鑑だ。しかし、もし現代社会でそれをやられたら、社会常識を大きく逸脱した「暴走」である。

箱舟をつくっている間は収入ゼロなので、家族は貧しい暮らしを余儀なくされる。そして、「大洪水がくる」とワケのわからないことを言って、痩せほそりながら重労働に没頭するノアや、ノアを信じる家族を見て、社会の人々はこう言うはずだ。

「マインドコントロールされて騙されている」

「信仰」と「現実社会」のバランスを取れるのか

しかし、ノアからすればこれは「信仰」だ。誰かに騙されているものではなく、あくまで自分の自由意志でそれをやっている。そこで問題は「ノアの家族はどうか?」ということである。

ノアは自分自身の「信念」でやっているので、どれほど貧しくなろうとも満足だ。しかし、ノアの家族は別に神様から直接啓示を受けたわけではないので、ノアを信じるしかない。だから、信じられなくなったら「悲劇」だ。

自分の親がある日、突然ワケのわからないことを口にして収入ゼロで箱舟づくりに没頭をする。子どもたちは飢えとネグレクトで心に傷を負う。まさしく、山上徹也被告が訴えているような「悲惨な幼少時代」になるので、ノアを恨むだろう。そして、ノアをそそのかした「神様」への憎みが膨らんでしまうだろう。そういう意味では、旧統一教会の信者は「現代のノア」なのかもしれない。

窪田順生『潜入 旧統一教会 「解散命令請求」取材NG最深部の全貌』(徳間書店)

ローカル線で名古屋駅まで向かう帰路、私の頭の中では、わかこさんが最後に言った「お義父さんはノアじいさんですよ」という言葉がずっとぐるぐると回っていた。

宗教の信者としては、「ノアじいさん」になることは正しい。俗世間の雑音に惑わされず、神様の言葉をひたすら信じる。しかし、この社会の中で生きる市民として「ノアじいさん」になると、周囲とさまざまなトラブルが起きてしまう。浮世離れした金銭感覚や、理想とする献金のレベル、伝道へかける熱意などが、時に家族や知人によく思われないこともあるのだ。

この「信仰」と「現実社会」のバランスをどうとっていくのかということこそが、旧統一教会がこれから考えなくてはいけないことなのではないのか。

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