悲劇を起こす「すごい人」の暴走

そう頷きながら私はここに問題の根幹があるのではないかという気がしていた。つまり、社会で批判されている「高額献金」や「霊感商法」や「マインドコントロール」などは、伊藤さんのような「すごい人」たちの信仰心が暴走をした結果ではないかと感じたのである。

伊藤さんの「3分の1献金したい」という思いは、長男やその嫁が文句を言って断れる。「お義父さんはちょっと言い方がひどい」とか「そっちは信仰第一で私たちと違う」と思っていることを告げて、逆らうこともできる。だから、長男もお嫁さんも、自分たちの収入を子育てやローン返済にあてることができる。

しかし、もしかしたらそういうことができない家庭もあるのではないか。

わかりやすく言えば、伊藤さんのように敬虔けいけんな信者が、「3分の1献金したい」と言ったら、子どもたちなど家族全員がそれに逆らうことができない家庭だ。これがさまざまな「悲劇」を生むのではないか。

薄暗い部屋の床に座っている女性
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なぜ信者は「狂っている」ように見えるのか

伊藤さんのように「マジメすぎる信者」は、わかこさんが言っていたように「信仰第一」なので、たくさん献金をするのは当たり前だ。諫める人がいなければ当然、家計をかえりみない「高額献金」に走ってしまう。また、家族など身近な人にも自分と同じ水準の献身ぶりを勧めるので、場合によってはそれが「霊感商法」と呼ばれるようなトラブルを引き起こす恐れもある。

そして、「マジメすぎる信者」の敬虔ぶりというのは、他の信者が驚くほどなので、一般人や信仰を失った「元信者」などから見れば完全に狂っているようにしか見えない。つまり、「マインドコントロールされている」と思われてしまうのだ。

教団を追及するジャーナリストや弁護士、そして元信者によれば、「高額献金」や「霊感商法」はすべて教団の指示において行われ、これらを実行するために「マインドコントロール」という手法が使われているという。

だが、果たして本当にそうなのか。これまで多くの現役信者に話を聞いてきたが、みんな好き勝手にいろんな話をして、マインドコントロールで操られているという印象を受けなかった。教会の中に入ってみても、末端の信者まで指示や命令が行き届いているように見えなかった。