貫禄を自分でつくるのは意外に難しい

私は大学を卒業してからは、いろんな医療現場での勤務医や塾の顧問、さらには映画監督や作家など、1つの組織に所属せず、さまざまな仕事をしながら生きてきました。いわばフリーターみたいな人生です。

そして、22年7月から日本大学(以下、日大)の常務理事という新たな仕事を始めることになりました。

日大の本部に行って、理事室のある階でエレベーターを降りると、最近はやめてもらうことにしましたが、3人くらいの秘書が頭を下げてくれました。こういうのは、私はすごく苦手です。

これまでも、講演会の講師をして、主催者側のスタッフからもてなされることはありましたが、組織の地位があるという理由で、もてなされることはありません。だから日大で秘書から頭を下げられても、それに応じる貫禄というものがないのです。

そういった貫禄のようなものは自分でつくらないといけません。ところが、こういうものは意外に難しいのです。

せいぜい身なりをきちんとするくらいでしょう。

もちろん、やりたくない人はやる必要はないと思います。

写真=iStock.com/twinsterphoto
※写真はイメージです

老人は人が思っているよりあきらめがいい

よく「昔、俺は部長だった」などと、かつての地位を自慢する人がいますが、今現在は何者でもないことを宣言しているようなものです。

でも、そんなことを言う人には、昔の地位を尊重して対応しないと、キレて怒り出すこともあるようです。

お年寄りにもいますね。タメ口で話しかけたりすると、「今の若いやつらは口のきき方がなってない」などと怒り出す老人が。

でもこれも性格の尖鋭化の一種で、もともと怒りっぽい性格の人が、怒りをコントロールできなくなっただけのことだと思います。

こういうマンガに描かれるような老人は、目立ちはしますが、実際はそんなに多くはいないと思います。

たくさんの高齢者と接してきた経験から言えるのですが、老人は人が考えているよりあきらめがよいものです。

例えば、会社の部長だった人が、リタイアして駐車場の管理人になるといったことが現実にはあるわけです。

ではその管理人は昔のプライドがあるから偉そうにしているかというと、そうではなくて、ちゃんと腰の低い管理人になっているのです。

逆に言うと、この国の人たちは肩書きに従順な人が多いとも言えます。

実際、「俺は元部長だ」と叫んでいるようなタイプの管理人というのは見たことがありません。

確かに、「威張らないと損」みたいな考え方をしている人が世の中には存在します。でも、威張りたくても威張れない人がいるのも事実。

「俺は定年して、ただの老人になった」と思っている人のほうが意外に多いのです。

過去の肩書きにしがみつく人より、そのほうが人間的にはよいと思いますが、そのままだと見た目に関しては老けていく可能性があります。

ですから、意欲だけは失わないようにしなければなりません。