ある独身女性の決断

湯山さんのセミナーに参加して、実家の2階建てを平屋に建て替えた人がいる。大手金融機関を退職後、関連会社で経理をしていた当時60代前半の女性である。

実家は東京の郊外、すでに築50年を迎えていた。長年両親が暮らしていたが、2人が他界したあとは、独身の彼女が戻ってひとり暮らしを続けていた。

この家をどうするべきか、彼女は何年も悩んでいたという。友人たちに相談すると、みな判で押したように同じことを言った。

「歳を取ったら便利な駅近のマンションに引っ越すのがいちばんよ。いま住んでいる家を土地ごと売れば、ひとり暮らし用のマンションくらいポンっと買えるでしょ?」

敷地は60坪あった。たしかに売れば相当な額になる。彼女はさっそく、近所に点在するマンションのモデルルームを見て回った。

目にとまったのはマンションの嫌なところばかりだった。どの部屋も南北に長い同じような間取り、風通しは悪そうで日当たりも限定的。お隣さんはどういう人になるのだろう、マンションとはいえ隣近所との関係も気になった。食指はさっぱり動かなかったという。

そんなある日、帰宅途中の住宅展示場に掲示されたポスター「60歳で家を建てるセミナー」に釘づけになった。「そうか、平屋に建て替えるという手もあるのか」。さっそくセミナーに参加すると、その足で湯山さんに実家の建て替えを依頼した。

60歳で建てる平屋に、湯山さんは「60(ロクマル)ハウス」という名のひな形を用意している。間取りは田の字形、屋根はシンプルな切妻屋根。

南面に設ける軒の深いテラスはアメリカの映画で目にする郊外の平屋のイメージだ。平屋ならではのかわいらしさと遊び心にあふれたコンパクトなひな形である。

家を建て替えただけなのに街並みが垢抜ける

彼女の新居は、このフォーマットにおおよそ沿ったかたちで計画された。ひとり暮らしなので建物自体は小さめ。その分、60坪の敷地の南側に大きな庭を設けた。芝生を敷きつめた庭は、若々しい青が目にまぶしい。

昔からある住宅地なので、まわりは古い戸建てや賃貸アパートばかり。彼女の平屋だけが、きらきらとした華やぎに包まれることになった。

竣工しゅんこうからしばらく経ったある日のこと、ぴかぴかの平屋を訪ねた湯山さんは、彼女から次のような報告を受けることになる。

「この家が完成してすぐのことでした。久しぶりに町内会の集まりに顔を出したら、会長さんが私のところへ飛んできたんです。なにごとかと思ったら、『いやぁ、○○さんのおかげでこのあたりの街並みがすっかり垢抜けましたよ』って感謝されたんです。家を建て替えただけなのに街並みが垢抜けただなんて、ずいぶん大げさな言い方でしょう。

そしたら今度は、ふだんそんなにおつき合いのない奥さまたちが近づいてきて、『じつは私たちも、建て替えの最中から○○さんのお宅がとても気になっていたんです。よかったら、今度おじゃまさせていただけないでしょうか』ですって。

あ、そうそう、最近は庭の芝生に水をまいていたら、通りすがりの人から声をかけられることが増えました。『ここは何かのお店なんですか?』って。あちらからもこちらからも声をかけられて、まさかこんなことになろうとは夢にも思いませんでしたよ」

彼女ははずむような声で話してくれたという。リフォームでも住み替えでも起こり得ない、新築の平屋ならではの反応がそこには凝縮されていた。