日本のビジネスパーソンが抱える「過剰適応」の問題

近年、日本のビジネスパーソンが抱える問題として取り上げられているのが、「過剰適応」です。過剰適応は、周囲の環境から求められたり、期待されたりすることに対して、自分の気持ちを押し殺してでも、完璧に応えようとしすぎることです。自分自身で、自分らしさがないと感じていたり、自分に自信を持てていなかったりすると、その代わりに周囲に過剰に適応しようとして苦しみやすくなります。

永井竜之介『分不相応のすすめ 詰んだ社会で生きるためのマーケティング思考』(CROSS-POT)

また、周囲に過剰に適応しなければならない状況に身を置くことで、自分の気持ちが押しつぶされていって苦しむ場合もあります。こうした過剰適応になり、心と身体にダメージを負ってしまうことが現代病の1つとして問題視され始めています。

そもそも、身を粉にして会社のために尽くす「モーレツ社員」や「企業戦士」が良しとされていたように、日本の会社における働き方には、昔から異常性が少なからずありました。社員に対して、異常なまでの勤勉や献身を求めて、我慢を強いる日本の働き方は、国全体で進める「働き方改革」によって改善されてきていますが、まだまだ改革が行き届いていない部分も残されています。

日本企業が海外に作った工場で、現地の人々がノイローゼに

日本の会社が、海外に拠点を作ったとき、その海外の工場で日本と同じマニュアルを採用したところ、現地の人々がノイローゼになってしまったという話を聞いたことがあります。日本の人にとっては我慢して受け入れられるマニュアルでも、海外の人にとっては細かすぎて、複雑すぎて、心が耐えられないものだったのです。そのマニュアルに対応できている日本は、良く言えば「人材のレベルが高い」ですが、悪く言えば「ストレスに対して心が麻痺している」状態でしょう。

働きすぎて命を落としてしまう「過労死」は、「Karoshi」として英単語になっています。それはつまり、自分の命が危なくなっても我慢を続けて、仕事を続けてしまうということが、英語圏では考えにくい概念であるということです。我慢しすぎて、思考停止に陥り、仕事を止めることすらできなくなってしまう事態は、世界共通のものではないわけです。