仕事において「空気を読むこと」や「我慢すること」は本当に大切なのか。高千穂大学の永井竜之介准教授は「日本の会社には、海外から見れば異常なまでの勤勉や献身を求める面がある。働き方を変えていく必要があるのではないか」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、永井竜之介『分不相応のすすめ 詰んだ社会で生きるためのマーケティング思考』(CROSS-POT)の一部を再編集したものです。

悩む人のシルエットのイメージ
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「空気を読むこと」が重要なスキルになっている

× 言われた通りにやればいい

集団の一員として、集団のルールに従って、自分を周囲に合わせていくプロセスでは、自分自身に我慢させることが数多く出てきます。「こういうものだから」「うちでは、これが普通なんで」「言われた通りにやって」などと直接的に言われたり、言葉にせずとも感じ取ったりする中で、自分個人では本当はもっと別の考え方、やり方があったとしても、我慢して受け入れて合わせていくことが求められやすいでしょう。

分相応を良しとする意識は、こうした我慢を受け入れやすくなるための土台となります。「まぁ仕方ない」「郷に入っては郷に従え」と、現状を受け入れることは当たり前であり、我慢することが美徳とされる場面も少なくないはずです。

世界の中でも、特に日本では「空気を読む」ことが、人間関係においても、仕事においても、重要なスキルの1つとされている背景には、分相応と我慢を美徳にしやすい偏った価値観があるといえます。

空気を読んで、周りに合わせる。空気を読んで、自分の主義や主張を我慢する。それは、子どもの頃から大人になっても、学校でも会社でも、ときには家庭内においてさえ、重要なスキルとされています。

非合理なルーティンワーク、社内の無駄な慣習…

学校において、とても合理的とは思えない校則、教師による理不尽な指導、部活動やクラス内での妙なヒエラルキー(上下関係)など、色々なことに疑問はあっても空気を読んで、我慢して、受け入れて馴染もうとした経験は、多かれ少なかれ、ほとんどの人が持っているものでしょう。

会社においても、余計な時間と手間がかかる非合理的なルーティンワーク、社内だけで当たり前化してしまっている無駄な慣習、暗黙のうちに「地雷」「タブー」として避けられ続けている課題など、さまざまなことが空気を読んで我慢されています。