段ボール授乳室への批判は「ワガママ」なのか

段ボール授乳室に批判が集まったことに対し、島根県の丸山達也知事は、9月28日の記者会見で「色々問題はあったと思いますが、100点じゃないから供用すべきじゃないっていうのは間違った考え方です」と述べた。翌日のSmartFLASHは、「道の駅『段ボール授乳室』への批判を島根・丸山知事が一蹴『正論』『ちょっと感動』SNSで広がる賛同」というタイトルの記事を公開。「(段ボール授乳室は)ないよりはあったほうがいい」という女性たちの声や、「なぜダメなのか?」「ひとりでも使いたい人がいるなら、使えばいい」「まずやってみて、ダメなら改良をしていけばいい」という意見もSNSにあがっていた。

この頃私もYahoo!ニュースに「善意の寄付だから感謝ではなく、寄付だからこそ問題である段ボール授乳室騒動」という記事を書いたのだが、やや炎上した。

いつも記事の執筆時には、「こういう批判がくるかもしれないな」などと想像しながら書くのだが、この時には想像とは違う批判が集まった。「何のエビデンスにも基づいていない」というものである。私は首をひねった。段ボール授乳室について、女性たちがどのような点を不安に思っているのかについて、網羅的に書いたつもりなのに、なぜこんなことを言われるのだろうと。

そして合点がいったのである。女性たちの声は、段ボール授乳室に対する合理的な批判だとはまったくとらえられていなかった。つまり「単なるワガママ」だと思われていたのだ。

核心は「みじめさ」

私はこの授乳室の核心は、「みじめさ」にあると思った。そして「幅1メートルの段ボール箱に囲まれて授乳するなんて、本当にみじめだよね。子どもをもったからってなんでこんな惨めな思いをさせられるんだろうっていう思い、リアルに想像できて……。」とポストしたところ、「言い方が悪すぎる。機能面の欠点を挙げるだけで十分ではないか」といった批判を複数いただいた。

一方で、「その通りです。みじめに感じます」と賛同してくださる方もいた。「段ボールに囲まれて授乳することが“みじめ”だ」と言葉にすることが、どうもいろいろなひとの感情をかき立ててしまうようなのだ。

写真=iStock.com/maroke
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