「男は強く、女は弱い」という幻想から信じてもらえない

ここには被害者非難、その告発への疑い、加害者擁護が見て取れます。また、「本当のレイプ」は、男性加害者が女性に対して行うもので、そうでなければ同性愛の問題ということになっています。

こうした信念は、強力なジェンダー規範を表しています。それは、男は強い、女は弱いといった二項対立のジェンダー関係が基準となった世界観です。そのため、男性が性暴力の被害に遭うということは、そもそも信じられないことか、もしくは「女々しく、弱い」劣った男とされたり、そうでなければ性的指向に原因を求められたりしてしまいます。このことによって、強い男という幻想は維持されながら、男性被害者は不可視となっていくのです。

男性の性暴力被害の不可視とは、ジェンダーとセクシュアリティの規範によってさまざまな性のあり方が無視され、男性=加害者、女性=被害者という男女二元論の非常に狭いルールから外れたことによって被害事実それ自体が人々から認められないことです。この中には、被害当事者も含まれているため、それによって声を上げづらく、被害は隠されていきます。

約24人に1人、そのうち女性の約14人に1人は無理やりに性交等をされた経験がある(内閣府男女共同参画局「男女間における暴力に関する調査」令和3年3月)

男性優位な社会ではかえって被害男性が偏見の目で見られる

ジェンダーが男女の権力関係を表すように、ジェンダーやセクシュアリティの規範が存在しているのは、この社会が特定の性的なあり方を認めそれ以外を排除している状況があるからです。これはつまり、誕生したときに社会に登録された性別の通りに生きられるシスジェンダーで、異性を愛する男性が有利に生きられる仕組みです。

男性の性暴力被害者が社会の偏見によって影響を受けている不可視性の裏面には、男性優位な社会において男性であるというだけで受け取れる有利な利益もまたあります。この両面性こそが、男性というカテゴリーが持っている被害の理解の難しさでもあります。

男性被害者が自身の不快な体験を、性的虐待、レイプ、セクハラなどの、性暴力と関連する言葉を使って名づけることは、その後の回復プロセスにおいて重要な起点となります。性暴力の被害者であること、そして男性であることを両立させるのはその後のあり方を左右する場合があります。