不安を手放し、「なるようになる」と腹をくくる
多くの人が同じことを言っています。
たとえば、頓知話で知られる禅僧の一休宗純は、「なるようにしかならない」と言いました。
「何が起こるかわからないが、なんらかの形で解決される、私たちは、それを知らないだけだ」という意味です。
ビートルズの歌『レット・イット・ビー』もそうです。
レット・イット・ビーとは、苦難の時に「マザー・メアリー」が与えてくれる知恵の言葉です。「放っておきなさい」「なんとかなります」「あるがままに」といった意味でしょう。
マザー・メアリーは普通、「マリア様」と訳されますが、必ずしもそうでなく、「お母さん」と考えてもよいのではないでしょうか。
未来は私たちのものではなく、なるようになる
ヒッチコック監督の映画『知りすぎていた男』で、女優のドリス・デイが歌う『ケ・セラ・セラ』も同じです。
ケ・セラ・セラとは「Whatever will be, will be」つまり「なるようになる」という意味です。
子供の時、「きれいになれる? お金持ちになれる?」と聞くと、母親は「なるようになるのよ」と答えます。
娘になって、恋人に「将来うまくいくかしら」と聞いても、彼は「なるようになるんだよ」と答えるのです。
そして自分が母親になり、子供から同じように聞かれた時も「なるようになるのよ」と答える、という歌です。
まさしく、未来は私たちのものではなく、なるようになるのです。
それなのに、私たちは未来を知る手がかりを探します。「歴史が教えてくれる」と言う人もいますが、同じことは再び起こりません。
「歴史から半分学べ、全部学ぼうとすると間違う」といわれますが、その通りだと思います。
私は、未来がわからなくても、未来を好ましいものに変えようと努力することが大切だと思っています。
将来どうなるかは誰にもわかりません。
心配したり恐れたりしても、事態は解決しないのです。