ふっと思ったことは正しい
仏教では、物事は因縁によって決まると考えます。因縁とは、すべてが宿命的に決まっているということではありません。
自分の努力、周囲の動き、社会の仕組みなどに、自分が過去にしたことの結果が微妙にからみあって結末を迎えるということです。
つまり、時間は因縁と現実の相互作用の中を進んでゆくのです。
中川宋淵老師は「私たちが見ている世界の裏では、因縁の嵐が吹いている」と言っておられました。
因縁は現実を支配していますが、その全貌は決して見えません。結果しか見えないので、人はそれを見て、時に「奇跡だ」と言うのかもしれません。
因縁は、最終的には現実の社会を動かしているので、私たちは、その大きな変化を感ずることもあります。それが予感とか直観と呼ばれるものです。
臨済宗天龍寺派管長だった関牧翁老師は「ふっと思ったことは正しい。邪念で解釈するから間違うのだ」と言っておられました。
私はふっと思うことが多く、この言葉には感謝しています。そして、ふっと思ったことの真実性は、時間が証明してくれるのです。
時には待つことが最善の解決策になります。
将来どうなるかは、誰も予測がつかない
すべてのことは、時が来ればうまくいく。
小説家 ヘンリー・ミラー
時間がどのような結論を出してくれるかは、誰にもわかりません。また、時間が出す結論は、必ずしも自分の思い通りではありません。
「おかしい、不思議だ」と感じても、それは、自分の思い通りにならなかっただけです。おかしく、不思議なのが現実なのです。
私たちの得られる情報は限られています。その限られた情報の中でも、自分に都合のよい情報ばかりを集めがちです。
その結果、私たちは見通しを誤り、「人間は何をするかわからない」などと人間批判をしたりします。しかし、それは的外れでしょう。
人間は未来を知ることができないのです。将来どうなるかは、誰も予測がつかないのです。
わからないことを心配したり恐れたりしても、事態は解決しません。筋違いの言動をして事態を悪化させたり、不安が高じて心を病んだりするだけです。
だから、ヘンリー・ミラーは「時が来ればうまくいく」と言ったのです。
私は、人生訓のすべては、この言葉に尽きていると思います。