「暗記が嫌い」だが、自分で工夫して覚えた

――小学校卒業後、灘中・灘高に進んだ髙島さん。両親は当初、中学受験をすることは考えておらず、受験は本人が強く希望して実現したという。

4年生の冬に、同級生が中学受験をすると聞いたんです。そういう選択肢があるということを初めて知りました。調べてみたら、灘は図書館が充実していて蔵書が多いことなどがわかり、進学したなら新しいことをたくさん学べて楽しそうだと思ったんです。そこで中学受験をしたいと自分で決めました。

両親に相談すると、私はぜんそくを患っていたので「体は大丈夫か」とか「小学校が一番大事だと思うけれど、受験によって学校がおろそかにならないか」などと質問されました。

それに対して、「塾から帰ったらすぐお風呂に入って寝る」「学校の宿題は塾への行き帰りの電車でする」など、自分なりに考えたルールを説明して、納得してもらいました。

私が自主的に行動するようになった理由を考えると、「楽しくなる方法を見つけるのが得意」ということも関係していると思います。見方を変えたりやり方を工夫したりして、「やっていて楽しい」状態にするのが得意なのかもしれません。

たとえば勉強。私は、暗記科目がすごく嫌だったんですよ。覚えるということが好きになれない。でも好きになろうと考え、二つの方法でやっていました。

プレジデントFamily2010年5月号「灘中の学年トップ『行列のできるノート』は芸術品」(出典=『プレジデントFamily2023秋号』)

まずは暗記用のノートを作ること。私はノートをきれいに整理して書くのが好きだったんです。そこで暗記とノート作りをひもづければ面白くなるかなと思って始めてみました。

もう一つは、先生になりきって授業をしてみること。一人でぶつぶつつぶやきながら授業をして、授業の要点を覚えるようにしました。友達が「わからない」と相談してきたら、教えるというのが楽しかったし、自分の理解が深まると思っていたんですね。それとひもづけたわけです。

勉強だけに限りません。小さなころから、遊びもより楽しくなるような工夫をしていました。3歳違い、9歳違いの弟たちと、わが家の前の道で野球やサッカーをしたときのことを思い出します。

その道の両側にはすぐ家があります。当然、野球を本気でやると、ボールがよその家に飛んでいってしまうじゃないですか。それはできない。どういう形だったら、他の人に迷惑をかけずに自分たちのやりたい遊びができるか考えました。

普通なら、打球が左右に飛ぶとファウル。それを全部アウトにしたんですよ。まっすぐ打つしかないように、ルールを変えました。ある一定のところを越えたらホームランだけど、越えすぎたら……とか。実際にやってみて、どんどん新しいルールを加えて、調整していきました。

また9歳下の弟でも対等に戦えるようにするにはどうしたらいいか。兄は左打ちしかしないとかアンダースローしか駄目といった、ちょうどよいハンディを考えました。弟にハンディは与えるけど、こちらが手を抜くことはしない。手を抜いて野球をやっても面白くないから、と。

どうやれば一番楽しめるか。それを考えるのが、私の得意なところだと思います。