母の言葉「チャンスの神様には前髪しかない」で覚醒

――倉田哲郎さんは2008年、箕面市の市長選に無所属で立候補し、初当選した。当時34歳で、全国最年少の市長だった。

高校生のときに、倉田市長を表敬訪問したことがあるんです。そのとき「どうして市政の道を選んだんですか?」「仕事のやりがいは?」と尋ねたところ、市民生活に密着した仕事の魅力を語ってくださいました。

世の中を変えようと思ったとき、市長は市民にとって一番身近な首長だからこそ、政策を動かしやすいと思うんです。

ハーバード大学では、ボストンに隣接するニュートン市の前市長セッティ・ウォーレンさんが主宰しているゼミも受講しました。学部生が10人、行政大学院生が10人の計20人の小さなゼミで、前ボストン市長のほか、ゲストとして現役のマサチューセッツ州知事などを招いて議論をしました。

ボランティアの集め方やファンドレイジング(民間非営利団体が活動資金を集める行為)を含めた選挙の準備から、市長になってからどのように法律(日本では条例)を作っていくかまで、実践的な授業で毎回テーマを決めて進められました。アメリカと日本では選挙や政治のシステムが違うのですが、市民との対話を重視しながら人を巻き込んでいく方法などは役に立ちました。

ゼミを受講していたのはハーバード大学での最後の学期の昨年春。ゼミの同期の中で、私が最初の首長になったわけですね。

――周りの人を巻き込んで選挙戦に勝利した髙島さん。しかし、幼稚園のころは内気で引っ込み思案。人前に出ていくのが得意ではなかったという。ある日、そんな髙島さんを変える出来事が起こった。

4歳のときに家族でマジックショーを見に行ったんです。人体切断のマジックの際にマジシャンが「誰か手伝ってくれる人はいませんか?」と声をかけたんですね。会場にいた子供たちは、皆、手を挙げました。それで私もつい手を挙げてしまいました。そうしたらマジシャンは私を指名したんです。私は恥ずかしいし怖いしで、指名されたのにもかかわらず、舞台に上がることができませんでした。

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その後、母から「チャンスの神様には前髪しかない」という言葉を教えてもらいました。母方の祖父が好きだった言葉だそうで、チャンスだと思ったら、すぐにつかまえないと駄目。後でつかもうとしても、チャンスの神様の後頭部には髪がないからつかめないというのです。

それを機に、チャンスがきたらちゅうちょせずにまずはつかみにいく、という気持ちが芽生えたんだと思います。

もともと負けず嫌いな性格でした。小さいときから大人を相手に、どちらがパズルを早く完成できるか競争していたそうです。負けたくない、挑戦したい、頑張りたいという気持ちは強かったと思います。