幸一の思いきった提案に木原も腹を決めた

「木原さん、合併したら、あなたが新会社の社長になってください。僕は専務でいい」

これには木原も驚いた。

「本気かいな?」
「こんなこと冗談で言いません。その代わり、社名は和江商事のままでお願いします」

これを聞いてさすがに木原も腹を決め、ようやく合併を承諾してくれた。

幸一は、最終判断は役員会に委ねることにした。そして中村伊一、川口郁雄、征木平吾と奥忠三の4人に諮ったところ、賛成と反対が2対2の同数となった。

ここで幸一が発言した。

「おまえらの気持ちはわかった。それでは最後に俺が票を入れる。俺は賛成や!」

こうして和江商事は木原縫工所と合併し、新生和江商事として生まれ変わった。

幸一は和江商事の将来のために、社長の座から降りたのである。昭和26年(1951)5月1日のことであった。2カ月後には本社も木原縫工所のある室町に移転することとなった。

昭和26年(1951)7月に移転した室町本社と工場のイラスト。左の洋館が工場(出典=『ブラジャーで天下をとった男 ワコール創業者 塚本幸一』)

プライドばかり高い職人たちの鼻をへし折る

合併効果はいろいろなところに現われた。

営業部門と製造部門の部門間の人事交流を行うことにより、互いにいい影響を与え合うなど、社内に新風を吹き込ませることができた。

これを好機ととらえた幸一は、それまでノータッチだった生産部門を担当したいと申し出た。

そして対外的な営業部門を木原社長に任せることにした。生産部門と営業部門が一つにならないと会社が一つにならないという考えがあったからだ。

だが職人というのは素人を嫌う。古くからいる工場の職長と裁断部門の男性社員1名がどうしても幸一の指示に従ってくれない。ここで折れたら負けだ。

幸一は木原と相談し、彼らにやめてもらうことにした。これで職場に緊張が生まれた。逆らえない雰囲気ができた。戦場で彼が実践した人心掌握術そのままである。

そして、すぐ次の一手を打った。

プライドばかり高く新たな技術に挑戦する気のない職人たちの鼻をへし折るため、大量近代的な生産システムによる縫製技術を身につけている人間をスカウトしてきたのだ。

それが渡辺あさ野だった。