事業が軌道に乗っても不安は消えなかった
木原縫工所(木原工場)と専属契約を結び、四条河原の決戦を制して高島屋との取引も獲得。勢いに乗り始めた和江商事だったが、それでも幸一の心からは不安が消えなかった。
これから木原にはブラジャーだけでなくコルセットなども製造してもらうことになる。だが、それがどんどん売れていくのをみていたら、いつか木原は自分で売ったほうが儲かると考え、直接販売に乗り出すかもしれない。そうなると和江商事はお手上げだ。
また新たな縫製業者を探す必要があるだけでなく、木原縫工所はかってない強力なライバルとして立ちはだかる。
経営者の最大の仕事は危機管理だ。起こった危機に対処することだけが危機管理ではない。むしろ危機が起きる前にそれを予見し、危機の発生を未然に防ぐことこそ一流の経営者の資質である。幸一にはそれがあった。
そこで考えたのが木原縫工所との合併だった。製造から販売まで一貫した組織を持つことが最も有効な対処方法であり、かつ収益性を高めることにつながると確信したのだ。
ワコールが業界ナンバーワンになった勝因
この製販一貫システムは、現在ではユニクロなどが採用しており珍しくないが、当時としては独創的な発想だった。そもそも流通経路にしても、メーカーと小売店だけでなく、その間に問屋が入るという分業体制がわが国の商取引の常識であり、役割が細分化されていたのである。
だが女性下着の製造から販売までを手掛ける、日本にはまだどこにもなかった専門企業の道を選んだことこそ、ワコールが業界ナンバーワンになった勝因だった。
幸一は思いきって木原光治郎に合併を持ちかけた。
だがそう簡単に事は進まない。
「昔から嫁ぐにはタンス長持をそろえてからと言います。和江さんとは1年のつきあい。まだ柳行李一つしかそろえられてまへん。せめてもう2、3年待っとくなはれ」
木原はそう言って婉曲に断ってきた。
そんなに待っていたら、木原工場を他社に取られてしまう可能性がある。
「柳行李一つで結構です」
そうも言ったが、話し合いは平行線のまま。考えに考えた末、幸一は思いきった提案をする。