「ファーストリテイリング」という社名の意味

そのためにファーストリテイリングは、私たちの価値観に「お客様の立場に立脚」することを掲げ、私たちの行動規範に「お客様のために、あらゆる活動を行います」と約束しています。企業理念である「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」ことこそ、私たちにとっての「店は客のためにある」の実践なのです。

ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長(撮影=大沢尚芳)

世の中を変えたいのなら、自分が変わらなくてはならない。だから私たちは勇気をもって、今までの成功を捨ててきました。私たちは常に今の成功を捨てて、未来に向き合っていく集団でありたい。そのとき未来を示す羅針盤、それが「店は客のためにある」なのです。

店とは、経営者のためにでも、社員のためにでも、株主のためにあるのでもありません。何より、店はお客様のためにあるのです。それを勘違いする人がじつに多い。お客様のために役立たなかったら、他のどんな人に役立っても店の存在意義などありません。お客様のために一途になること。それが成果を生み、結果として株主や社員、そして経営者も幸せになれるのではないでしょうか。

だから当社は小売業の範疇を超えて、お客様のために変わろうと挑戦を続けています。そのためには世界中から生の情報を集めて、誰よりもお客様の要望をお聞きして即商品化することです。ファーストリテイリングという社名は、そういう意味なのです。

商業の父「倉本長治」とは何者なのか

では、柳井を商いに進むべき道を照らす言葉を生んだ倉本長治とは何者なのか。

倉本は1899年、元禄時代からの菓子商の家に生まれ、幼いころから小売商に愛着を抱く。1925年、26歳で雑誌『商店界』の編集長に就くと水を得た魚のごとく、商業評論、広告・宣伝のコンサルタントとして活躍する。

戦時体制の強化により『商店界』は休刊となる。そこで師事する人物の薦めにより、ある企業の取締役に就くが、これが原因で後にGHQから公職から追放されることとなる。

戦後、日本経済は混乱の極みにあった。激しいインフレが続き、商業は不当な高値販売や情実販売が横行し、道義は地に落ちていた。そこで手弁当で全国各地へ赴き、「店は客のためにある」という消費者主権と、「損得より先に善悪を考えよ」という商業倫理を掲げ、正しい商人道と商業の近代化を説いた。

1948年、全国の愛読者と支援者たちにより、後半生のすべてを捧げることとなる雑誌『商業界』が創刊される。戦後の混乱治まらぬ中にあって健筆をふるい、新しい時代の商業経営の精神と技術を提唱。追放が解除されると、商業界主幹に就任する。

1951年には、講師と受講生が寝食を共にして学びあう「商業界ゼミナール」を主宰。すると反響はすさまじく、彼らは寝る間を惜しんで学び、語り合った。回を重ねると、すぐに3000人を超える商人が全国から集うようになり、その熱気から「商人の道場」と言われた。