苦難を支えた「日本商業の父」の教え
地方商店街の紳士服店の家に生まれた柳井は大学を卒業すると、親の勧めでジャスコ(現イオン)に入社。しかし1年と続かず、友人の家に居候しているところを父に呼び戻され、実家の小郡商事に入社。そんな柳井の目にも、家業の仕事の効率や従業員の態度の悪さが目立った。それを直そうと厳しく指導すると、7人中6人の従業員が辞めてしまったという。
なんとかしなければと柳井は、残った番頭とともに店と経営の現場・現物・現実のすべてと向き合い、試行錯誤を繰り返していった。郊外店の多店舗化を進め、1998年の原宿出店とフリースブームにより全国区の地名度を得るが、その後に業績低迷が訪れ、野菜販売の失敗、海外出店の挫折、若手経営者への権限移譲の不成功と、まさに柳井の著作『一勝九敗』(新潮社)を地で行く道のりだった。
そんな柳井を覚醒させ、常に支え続けた言葉がある。
店は客のためにある――。
「昭和の石田梅岩」「日本商業の父」と言われた経営指導者、倉本長治の教えである。この言葉から柳井は何を学んだのか?
商売をやる上でこれ以上の言葉はない
【柳井】商売の原理原則はいつの時代も変わらないし、「店は客のためにある」以上のものはありません。それなのに、多くの経営者が当たり前と軽く見て、ないがしろにしています。そういう経営者ほど、仕事に戻った瞬間や厳しい局面に立たされたとき、この言葉をすっかりと忘れ、自己都合の商売をしているものです。
そうはなるまい――。駆け出しだった頃から、この思いが私の商売の原動力となりました。
「店は客のためにある」とは、経営者の体裁を繕う美辞麗句でもなければ、耳に心地よいスローガンでもありません。経営のありとあらゆることを、これに徹する覚悟と実践を求める決意の言葉なのです。極めてシンプルな表現の内に、商いの原理原則のすべてが込められています。
ところが最近の起業家は、手っ取り早く儲けようとします。そんなの儲かるわけがない。儲けようとしたら絶対に儲からない。誰も人を儲けさせようと思って、応援してくれる人などいません。
儲けは、己の全身全霊をかけて人に喜んでいただく先にあります。倉本長治さんはそれを「お客様という名の友をつくれ」と言いました。まさに経営の目的とは「お客様」と呼ばれるファンを増やしていくことであり、顧客の創造に尽きます。私が経営者人生をかけて追求してきたことでもあります。