インフルエンサーたちがこの再現動画を次々投稿するだけでなく、7月には日清食品がカップヌードルのCMで「強風オールバック」とコラボし、世代を超えた流行になりました。一度聴いたら耳から離れないメロディも人気の理由ですが、やはり登場する女の子の不憫さに共感が集まったのが、ヒットの最大の要因だと感じます。
TikTokで人気となる一般のクリエイター動画にも「不憫かわいい」の要素が見て取れます。
例えば、中国出身の「chenshanfuer」さんの「あなたの家に中国料理を作りに行ってもいいですか」と題する一連の投稿です。勉強中の不慣れな日本語で、街行く人に声をかけ、「家はちょっと……」「用事がある」などと断られ続ける姿がなんとも不憫。それでも諦めずに声をかけ、OKをもらった人の家で本格的な中華料理を振る舞うという動画です。
会社の広報担当となり、「バズるまでコメントに従い続ける」を掲げて動画を投稿する「doshirotokoho」さんも、ちょっと可哀そうだけれど精一杯頑張る人として、TikTokで急速にフォロワーを集めたクリエイターの一人です。
人を嘲るような悪意はない
僕が驚愕したことがあります。認知症の祖母を持つ孫による、人気のTikTokアカウント「obaayantomago」の投稿動画です。
僕が教える学生の一人は、「認知症を患うおばあちゃんとその孫のほんわか日常を撮った動画が、おばあちゃんの予想外な発言がとても面白くてバズった」と話していました。でも、僕に言わせれば全然「ほんわか」していないです。
孫が鼻をかきながら「今どこをかいているでしょうか」とクイズを出し、「あ~耳じゃないねこれは……なんだっけここは、鼻!」と答えるおばあちゃんに対して孫が、「ブブ~正解は耳」と意地悪する様子を見て、僕はまたしても胸が痛みました。
今どきの若者はなんて性格が悪いのか、と思うかもしれません。ただ、僕の学生たちを見ていると、彼らに人を嘲るような悪意はないのです。とはいえ、「頑張れ!」と積極的に応援しているわけでもない。「不憫だなあ」と純粋な気持ちで共感したり愛でたりしているだけ、というのが正しい表現のように思います。
成功物語に共感できなくなった
なぜ今、「不憫かわいい」がこれほどまでにZ世代の共感を集めているのでしょうか。学生たちと議論するなかで見えてきた理由は、若者たちが抱く閉塞感です。
40代の僕にとって、人生のバイブルとなる漫画は、1975年連載開始の『キャンディ・キャンディ』でした。孤児院で育てられた主人公が、お金持ちからの意地悪や戦争などの様々な逆境にもめげず、明るく前向きに生きていくさまが描かれています。
1983年に放送開始し国民的ブームを巻き起こしたNHKの連続テレビ小説『おしん』も、これでもかと降りかかる困難に持ち前の明るさで立ち向かいながら人生を向上させていく話です。このように、高度成長期からバブル期にヒットしたコンテンツは、困難をはねつけるサクセスストーリーが大半でした。